文徴明ぶんちょうめい

時代 成化6年(1470年)〜 嘉靖38年(1559年)
カテゴリー 中国美術
プロフィール 中国明代中期に活躍した文人である。詩書画に巧みで三絶と称され、とりわけ画においては呉派文人画の領袖である沈周の後を受け継ぎ、沈周・唐寅・仇英とともに明代四大家に加えられた。
蘇州(江蘇省長州県)の人。幼名を璧、字を徴明としたが名前のようになってしまったので徴仲と改めた。衡山、衡山居士、停雲生と号し、文衡山と呼ばれることも多く、また官名から文待詔とも称された。