中野弘彦なかのひろひこ
時代 | 1927年生(昭和2)〜2004年 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 日本画家 |
プロフィール | 山口県生まれ。京都市育ち。 中野 弘彦(なかの ひろひこ、1927年4月3日生まれ、2004年3月4日没)は、日本の日本画家であり、哲学者としての背景を持つ独特の経歴を持っています。山口県に生まれ、京都市で育ちました。1945年に京都市立美術工芸学校(現・京都市立銅駝美術高等学校)を卒業後、小学校教員として勤務しました。その後、立命館大学文学部哲学科を卒業し、さらに京都大学文学部哲学科美学美術史専攻を修了しています。 東京文化財研究所 1952年、第16回新制作展に「風景」を初出品し、入選を果たしました。しかし、その後一時的に絵画制作を中断し、哲学の研究に専念します。1967年、絵画制作を本格的に再開し、1970年には新制作春季展賞を受賞するなど、数々の賞を受け、その才能が再び注目されました。 東京文化財研究所 中野の作品は、泥絵具を基調とし、ボールペンや鉛筆など多様な画材を用いて、樹木や植物、家屋などを澄明な色彩で再構成しています。そのテーマの中心には「無常」の概念があり、日本の精神文化を深く探求し、視覚的に表現しました。 東京文化財研究所 教育者としても活躍し、1993年から1997年まで成安造形芸術大学(現・成安造形大学)で教授を務め、後進の育成にも尽力しました。また、1990年には第3回京都美術文化賞、1993年には京都府文化賞功労賞、1998年には京都市文化功労者賞を受賞するなど、その功績が広く認められています。 東京文化財研究所 中野弘彦の作品は、哲学的な深みと独自の美学を持ち合わせており、現代日本画の中でも特異な存在として高く評価されています。その作品は、何必館・京都現代美術館などに収蔵されており、現在も多くの人々に感銘を与え続けています。 |