石崎光遙いしざきこうよう
時代 | 昭和時代 |
---|---|
カテゴリー | 絵画、書画 |
作品種別 | 日本画 |
プロフィール | 石崎 光瑤(いしざき こうよう、明治17年(1884年)4月11日 - 昭和22年(1947年)3月25日は、日本の大正時代から昭和の初めにかけて活躍した日本画家。文展・帝展を中心に活動し、写実に基づく鮮やかで装飾的な花鳥画を得意とした。 石崎光瑤(いしざき こうよう、1884年4月11日 – 1947年3月25日)は、明治後期から昭和初期にかけて活躍した日本画家で、特に華麗な花鳥画で知られています。彼の作品は、鮮やかな色彩と装飾性に富み、近代日本画壇において独自の地位を築きました。 経歴と画業 出身と初期の修行:富山県福光町(現・南砺市)に生まれ、12歳で江戸琳派の絵師・山本光一に師事しました。19歳で京都に出て、竹内栖鳳の門下となり、日本画の技法を学びました。 インドへの旅と作品:1916年から翌年にかけてインドを旅し、現地の自然や文化に触発されて、《熱国妍春》(1918年)や《燦雨》(1919年)などの作品を制作。これらは文展・帝展で特選を受賞し、彼の名を高めました。 教育者としての活動:1936年、京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)の教授に就任し、後進の育成にも尽力しました。 作風と代表作 石崎光瑤の作品は、琳派の影響を受けつつも、独自の装飾性と写実性を融合させた花鳥画が特徴です。特に、インドでの体験を反映した熱帯の動植物を描いた作品は、鮮やかな色彩と躍動感に溢れています。 《熱国妍春》:インドの熱帯風景を描いた作品で、文展で特選を受賞しました。 《燦雨》:熱帯のスコールに驚く鳥たちを描いた作品で、帝展で特選を受賞しました。 《白孔雀》:白い孔雀を描いた作品で、繊細な筆致と色彩が評価されています。 登山家としての一面 石崎光瑤は、画家としてだけでなく、登山家としても知られています。1909年には、民間人として初めて剱岳の登頂に成功し、またインド滞在中にはヒマラヤのマハデュム峰(標高3,966m)に登頂しました。 近年の展覧会と評価 2024年から2025年にかけて、石崎光瑤の生誕140年を記念した大規模な回顧展が、富山県の南砺市立福光美術館、京都文化博物館、静岡県立美術館などで開催されました。これらの展覧会では、初期から晩年までの代表作が一堂に会し、彼の画業の全貌が紹介されました。 石崎光瑤の作品は、現在も多くの美術館やコレクターによって所蔵され、その鮮やかな色彩と独自の世界観は、今なお多くの人々を魅了し続けています。 |