長谷川青澄はせがわせいちょう

時代 1916〜2004年
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 現代日本画家
プロフィール 日本の美術家、日本画家。本名は義治(よしはる)。
精密な描写をもとにしたデフォルム、また琳派や西洋の油彩絵画とも一線を画したマチエールに強いこだわりをもった独特な画風を確立した。作品は専ら日本美術院展覧会への出品作であり、日本美術院同人、同評議員となった。

長谷川 青澄(はせがわ せいちょう、1916年9月25日 - 2004年7月23日)は、日本の日本画家で、本名は義治(よしはる)です。精密な描写と独特のマチエール(質感表現)にこだわり、独自の画風を確立しました。
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経歴

長野県下水内郡飯山町(現・飯山市)に生まれ、旧制飯山中学(現・長野県飯山北高等学校)在学中に日本画家の細野順耳に師事しました。1933年、一家で上京し、翌年には吉村忠夫に入門して大和絵を学びました。1952年、吉村の急逝を受け、中村貞以に師事し、日本美術院展覧会(院展)への出品を目指して研鑽を積みました。
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主な受賞歴

1953年:第38回院展に「庭」を初出品し、初入選。
1958年:第13回日本美術院小品展で「鶏舎」が奨励賞を受賞。
1990年:「月(石山)」で内閣総理大臣賞を受賞。
1994年:「足柄の山姥」で文部大臣賞を受賞。
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作風とテーマ

長谷川は、能や狂言、舞踊などの日本の古典芸能をテーマにした作品を多く手掛けました。精密な描写と独特の質感表現を特徴とし、琳派や西洋の油彩絵画とも一線を画す独自の画風を確立しました。
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教育者としての活動

師である中村貞以が主催した画塾「春泥会」を引き継ぎ、師の七回忌後は「含翠(がんすい)」として継承しました。日本美術院展覧会を目指す日本画家の育成に努め、多くの後進を育てました。
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晩年と死去

2004年7月23日、大阪府吹田市内の病院で心不全のため87歳で逝去しました。
東京文化財研究所

長谷川青澄の作品は、飯山市美術館や長野県立美術館などに収蔵されており、その独特の美意識と技法で多くの人々に親しまれています。