伊孚九いふきゅう

時代 1698〜1747
カテゴリー 中国美術
作品種別 中国 清代中期 画家
プロフィール 清代の画家・船主。康煕37年(1698)浙江省湖州生。名は海、号に莘野・匯川・也堂等、孚九は字。享保5年(1720)長崎に来舶し、20余年間往来した。山水画に長じ、清の文人画を伝え、日本文人画壇に大きな影響を与えた。池大雅も孚九に私淑し南画を究めた。また書も巧みである。来舶清人四大家の一人。没年未詳。

伊孚九(い ふきゅう、1698年 - 1747年?)は、清代中期の中国人画家・貿易商であり、南宗画の画風を日本に伝えたことで知られています。本名は伊海、字を孚九(桴鳩)といい、号として莘野、匯川、成堂(也堂)、雲水伊人などを用いました。浙江省湖州府呉興県(現在の浙江省湖州市)出身です。
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生涯と来歴

伊孚九は、兄の伊韜吉から信牌(貿易許可証)を受け継ぎ、享保5年(1720年)に初めて長崎に来航しました。その後、延享4年(1747年)までに6度の来日を果たしています。主に馬の貿易を行い、清朝で禁制品とされていた軍用馬を幕府の御用馬として輸入し、その功績により褒賞を受けた記録が残っています。
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画業と影響

伊孚九は、余技として南宗画風の山水画を得意とし、その優美で清雅な画風は日本人の趣味に合致し、特に淡彩の山水画が高く評価されました。
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長崎では清水伯民が門弟となり、また池大雅や与謝蕪村などの日本の文人画家にも影響を与えました。
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彼の名を広めるきっかけとなったのが、『伊孚九・池大雅山水画譜』です。この画譜は、韓天寿が縮小模写した稿本を、木村蒹葭堂を介して中野素堂が刊行したもので、伊孚九の画風が日本全国に広まりました。
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代表作

伊孚九の代表作としては、重要文化財に指定されている「離合山水図」(松阪市所有)があります。この作品は、3幅の掛け軸がそれぞれ独立した山水画としても、繋げて一つの連続した風景としても鑑賞できる工夫が施されています。
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来舶四大家

伊孚九は、費漢源、張秋穀、江稼圃とともに「来舶四大家」と称され、江戸時代の日本における南宗画の普及に大きく貢献しました。
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彼の作品は現在もオークションや美術館で目にすることができ、その清雅な画風は多くの人々に親しまれています。