河合英忠かわいえいちゅう
時代 | 大正時代 |
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カテゴリー | 絵画、書画,掛け軸 |
作品種別 | 日本画 |
プロフィール | 日本画家。東京生。本名は六之助。初め右田年英に師事し、浮世絵を学ぶ。鏑木清方らの烏合会に参加。日本美術協会展・歴史風俗画会展・文展・帝展等に受賞を重ねて活躍。能画・歴史人物画・風俗画を能くした。大正10年(1921)歿、39才。 河合英忠(かわい えいちゅう、1875年〈明治8年〉10月17日 - 1921年〈大正10年〉9月17日)は、明治から大正時代にかけて活躍した日本画家・浮世絵師です。本名は六之助。東京市芝区茸手町(現在の東京都港区)に生まれました。初めに右田年英に師事して浮世絵を学び、後に小堀鞆音のもとで歴史画を修得しました。 経歴と活動 師事と画風の形成:右田年英から浮世絵を、小堀鞆音から歴史画を学び、歴史人物画や能楽を題材とした作品を得意としました。 新聞挿絵の制作:明治32年(1899年)に朝日新聞社に入社し、挿絵を担当しました。その後、同門の鰭崎英朋や鏑木清方らとともに烏合会を結成し、主要会員として活動しました。 展覧会への出品:文展(文部省美術展覧会)や帝展(帝国美術院展覧会)に出品し、大正2年(1913年)の文展に出品した「火車」が初入選しました。その後も「昔噺」で褒状、「夢」で三等賞を受賞するなど、評価を高めました。 代表作と作風 代表作:「火車」「夢」「鐘の由来」などが知られています。これらの作品は、能楽や歴史人物を題材にし、繊細な筆致と色彩で描かれています。 挿絵作品:明治から大正期にかけて、多くの書籍や雑誌の挿絵を手がけました。例えば、『能の栞』(博文館)や『鳳子』(益世堂)などの口絵や表紙を担当しました。 影響と評価 河合英忠は、明治から大正時代の日本画壇において、歴史画や能楽を題材とした作品で独自の地位を築きました。彼の作品は、当時の展覧会で高く評価され、現在でもその芸術性が再評価されています。また、彼の描いた挿絵や口絵は、当時の出版文化において重要な役割を果たしました。 河合英忠の作品は、現在もオークションや美術館で取り扱われており、その芸術的価値が再評価されています。彼の作品を通じて、明治から大正時代の日本画の魅力を感じることができます。 |