佐久間鉄園さくまてつえん
時代 | 大正時代 |
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カテゴリー | 絵画、書画,掛け軸 |
作品種別 | 日本画 |
プロフィール | 日本画家。北宗派の画家。宮城県生。名は健壽、別号は晩晴園主。父に学ぶ。文展審査員。著書に『支那歴代名画論評』がある。大正10年(1921)歿、72才。 佐久間鉄園(さくま てつえん、1850年11月22日 – 1921年4月25日)は、明治から大正時代にかけて活躍した日本画家であり、評論家でもあります。仙台藩の御用絵師を務めた佐久間家の出身で、父・佐久間晴岳、兄・佐久間得楼も画家でした。本名は健寿(けんじゅ)、字(あざな)は正卿、号は晩晴閣主人などを用いました。 経歴と画業 生い立ちと修業:仙台藩の御用絵師の家系に生まれ、幼少期より父や祖父から北宗漢画や漢学を学びました。 明治維新後の転機:明治維新により藩制度が廃止され、御用絵師としての職を失ったため、一時は新聞社の編集者や印刷業などに従事しました。 再び画家として:40歳頃に画業に復帰し、1899年の日本美術協会展で「松下牧童図」が3等賞を受賞するなど、画壇での評価を高めました。 文展での活動:1907年に文部省美術展覧会(文展)の開設に伴い、正派同志会の設立に参加し、幹事を務めました。また、文展の審査員や日本美術協会の顧問も務めました。 画風と作品 佐久間鉄園の作品は、狩野派の伝統を受け継ぎ、北宗画の影響を強く受けたアカデミックなものでした。代表作には「亀上観音図」や「鍾馗之図」などがあり、繊細な筆致と落ち着いた色彩で知られています。 著作と教育活動 評論家としても活動し、明治30年には1年間中国を漫遊し、帰国後に『支那歴代名画論評』や『鉄園画談』を刊行しました。また、若手作家に対して「芥子園画伝」などを講じるなど、教育活動にも力を入れました。 佐久間鉄園は、明治から大正時代の日本画壇において、伝統を重んじる「旧派」の重鎮として活躍しました。その作品や著作は、現在も美術館や古美術市場で見ることができ、評価されています。 |