狩野友信かのうとものぶ
時代 | 大正時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 日本画 |
プロフィール | 狩野 友信(かのう とものぶ、天保14年3月25日(1843年4月24日) - 明治45年(1912年)7月15日)は幕末から明治時代にかけて活躍した狩野派の日本画家。春川、一青斎と号す。 狩野友信(かのう とものぶ、1843年4月24日 – 1912年7月15日)は、幕末から明治時代にかけて活躍した日本画家であり、江戸狩野派の最後の奥絵師として知られています。号は春川、一青斎。彼は伝統的な狩野派の画法を継承しつつ、西洋画の技法も学び、近代日本画の発展に寄与しました。 生涯と活動 幕府御用絵師としての出発 狩野友信は、江戸築地に生まれ、狩野董川中信の長男として育ちました。嘉永6年(1853年)、狩野勝川院雅信のもとで修行を始め、狩野芳崖や橋本雅邦らと共に学びました。安政6年(1859年)には将軍家茂にお目見えし、奥絵師に任ぜられました。幕府の御用として、英米両国への贈答品や和宮降嫁に伴う調度品の制作などを手掛けました。 洋画の習得と教育者としての活動 文久3年(1863年)からは開成所で洋画を学び、さらに川上冬崖やチャールズ・ワーグマンに師事して油彩画や水彩画の技法を習得しました。明治維新後は、東京大学や東京美術学校(現・東京藝術大学)で教鞭をとり、狩野派の画法を後進に伝えました。また、アーネスト・フェノロサの日本美術研究に協力し、狩野芳崖や狩野永悳を紹介するなど、近代日本画の発展に貢献しました。 代表作とその特徴 狩野友信の作品は、伝統的な狩野派の技法を基盤としつつも、西洋画の影響を受けた新しい表現を取り入れています。代表作には以下のようなものがあります。 「紅葉に青鳩図」:1862年、遣欧使節がフランス皇帝ナポレオン三世に贈った作品で、現在はフォンテーヌブロー宮殿に所蔵されています。 「平治合戦図」:1893年のシカゴ万国博覧会に出品された作品で、東京国立博物館に所蔵されています。 「山水図」:東京国立博物館に所蔵されており、狩野派の伝統的な山水画の技法が見られます。 これらの作品は、狩野友信が伝統と革新を融合させた画風を持っていたことを示しています。 晩年と影響 狩野友信は、東京美術学校を退官後、東京聾唖学校で教鞭をとり、教育者としても活動を続けました。1912年、古希の祝賀会が行われた直後に脳溢血により亡くなりました。彼の墓所は染井霊園にあり、後に池上本門寺にも分骨されました。 狩野友信の教え子には、大村西崖や岡不崩などがいます。彼は、伝統的な狩野派の技法を次世代に伝えるとともに、西洋画の技法を取り入れることで、近代日本画の発展に大きな影響を与えました。 狩野友信の生涯と業績については、山田久美子氏による著書『狩野友信――最後の奥絵師、幕末・明治を生きる』に詳しく記されています。この書籍では、彼の作品や教育者としての活動、時代背景などが豊富な図版とともに紹介されています。 |