小坂芝田こさかしでん
時代 | 大正時代 |
---|---|
カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 日本画 |
プロフィール | 南画家。長野県生。名は晴道、別号は寒松居・天恩居等。中村不折の従弟。児玉果亭に学ぶ。大正6年(1917)歿、46才。 小坂芝田(こさか しでん、1872年1月1日 – 1917年9月5日)は、明治から大正時代にかけて活躍した日本画家で、特に南画(文人画)の分野で高い評価を受けました。長野県伊那市出身で、本名は為治郎(ためじろう)です。号は「寒松居」「天恩居」などを用いました。 生涯と画業 小坂芝田は、明治16年(1883年)に小室屈山に漢詩を、丸山素屋に南画を学び、その後、児玉果亭に師事しました。明治23年(1890年)に上京し、従兄弟である中村不折と同居しながら画業を続けました。その後、日本美術協会展や浪速画会共進会などに出品し、褒状を受けるなど評価を高めました。 明治39年(1906年)には山岡米華らとともに日本南宗画会を創立し、南画の振興に努めました。また、明治44年(1911年)には東京・上野桜木町に画塾「積翠山房」を開設し、多くの門弟を育成しました。 作風と代表作 小坂芝田の作品は、南宗画の伝統を受け継ぎつつ、写実的な描写を取り入れた山水画が特徴です。代表作には以下のようなものがあります: 《溪山積翠》(1911年):第5回文展に出品され、東京国立近代美術館に所蔵されています。 《幽邃》(1913年):第7回文展で2等賞を受賞し、同じく東京国立近代美術館に所蔵されています。 これらの作品は、墨の濃淡や筆致によって深遠な自然の風景を表現しており、南画の精神性と写実性を融合させた作風が評価されています。 教育と後進の育成 小坂芝田は、画塾「積翠山房」を通じて多くの後進を育成しました。彼の門下には、松島芝谷や横尾深林人などがいます。特に横尾深林人は、後に帝展で特選を受賞するなど、芝田の教えを受けて活躍しました。 評価と影響 小坂芝田は、文展での受賞や宮内省による作品の買い上げなど、当時の画壇で高い評価を受けました。また、南画の伝統を守りつつ、新たな表現を追求したその姿勢は、後の日本画家たちにも大きな影響を与えました。 彼の作品は現在も高く評価されており、オークションなどで取引されています。例えば、《遠山雲図》などの作品が出品されており、その評価額は高額となっています。 小坂芝田は、南画の伝統を受け継ぎながらも、新たな表現を模索し続けた画家であり、その作品と教育活動を通じて、日本画の発展に大きく貢献しました。彼の作品は、現在も多くの美術館やコレクターによって所蔵され、その芸術性が再評価されています。 |