中林蕗風なかばやしろふう
| 時代 | 昭和6年〜 |
|---|---|
| 標準発表価格 | 830,000 円 |
| カテゴリー | 絵画、書画 |
| 作品種別 | 現代書家・漢字作家 |
| プロフィール | 師 青山杉雨・中林子鶴 三重県出身。 中林梧竹(なかばやし ごちく、1827年4月19日 – 1913年8月4日)は、幕末から明治時代にかけて活躍した日本の書家であり、「明治の三筆」の一人として知られています。その独自の書風と中国書法への深い造詣により、日本近代書道の基礎を築いた人物と評価されています。 生涯と経歴 出身地:肥前国小城(現在の佐賀県小城市) 本名:中林隆経(たかつね) 通称:彦四郎 号:梧竹、剣書閣主人 字(あざな):子達 19歳のとき、藩の留学生として江戸に出て、山内香雪や市河米庵に師事し、書を学びました。その後、明治15年(1882年)に清国北京に渡り、潘存(はんそん)に師事して書法を学び、漢や六朝時代の碑の拓本を多数持ち帰りました。これらの経験が彼の書風に大きな影響を与え、明治書壇に新しい書風を広めました。 書風と特徴 中林梧竹の書風は、篆書、隷書、楷書、行書、草書の各書体に精通し、特に六朝北派の書を日本で初めて学んだことで知られています。その筆致は奔放で闊達、気宇壮大な趣があり、造形美を追求した独自の「梧竹流」ともいうべき書風を確立しました。また、長鋒柔毫の筆を駆使し、規模の大きい作品を多く残しています。 主な活動と功績 清国への渡航:明治15年(1882年)に清国北京に渡り、潘存に師事。明治17年(1884年)に帰国し、六朝の碑拓本を多数持ち帰りました。 東京での活動:帰国後は東京銀座の「伊勢幸」に約30年間住みながら、全国を遍歴し、書の普及に努めました。 観音堂の建立:明治41年(1908年)、故郷の三日月村(現小城市)に観音堂を建立し、先師3人(草場佩川、山内香雪、余元眉)の木牌を安置しました。 著書:『梧竹堂書話』などがあります。 ゆかりの地と記念施設 中林梧竹の故郷である佐賀県小城市には、彼の業績を称える多くの記念施設や碑があります。「梧竹めぐり」として知られる観光ルートでは、彼の揮毫による石碑や書画を巡ることができます。また、小城公園には彼の篆書で「桜岡公園」と刻まれた石碑があり、彼の書風を直接見ることができます。 まとめ 中林梧竹は、日本の書道史において重要な役割を果たした書家であり、その独自の書風と中国書法への深い理解により、多くの人々に影響を与えました。彼の作品や業績は、現在も多くの人々に親しまれ、書道界において重要な位置を占めています。 彼の作品を実際にご覧になりたい場合は、佐賀県小城市の中林梧竹記念館(桜城館)を訪れることをおすすめします。また、彼の書風や技法についてさらに詳しく知りたい場合は、『梧竹堂書話』などの著書を参考にされると良いでしょう。 |