大倉雨村おおくらうそん
時代 | 明治時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 日本画 |
プロフィール | 1845-1899 明治時代の日本画家。 弘化(こうか)2年2月15日生まれ。長崎で鉄翁祖門(てっとう-そもん)に文人画をまなぶ。明治5年清(しん)(中国)にわたり,上海領事館に15年間つとめながら中国の画法を研究した。弟子に宗重望(しげもち)らがいる。明治32年6月10日死去。55歳。越後(えちご)(新潟県)出身。名は行。字(あざな)は顧言。通称は謹吾。別号に雨邨,鉄農半仙。 **大倉 雨村(おおくら うそん、1845年2月15日 – 1899年6月10日)**は、幕末から明治時代にかけて活躍した日本の南画家・文人画家です。越後国新潟町(現在の新潟市)に生まれ、上海領事館に勤務しながら中国画の研究に努めたことで知られています。 生涯と画業 生年・出身地:1845年(弘化2年)2月15日、越後国新潟町(現・新潟市)に生まれる。 本名・通称:名は「行」、通称は「謹吾」。字(あざな)は「顧言」。別号に「雨邨(うそん)」「鉄農半仙」などがある。 初期の修業:地元の絵師・松尾紫山に画を学び、父の没後は江戸に出て、さらに長崎で鉄翁祖門に師事し、文人画を修めた。 中国での研鑽:1872年(明治5年)、27歳の時に清国に渡り、上海領事館に15年間勤務する傍ら、胡公寿や張子祥らと交友を結び、王摩詰に私淑し、古人の名蹟にも学んで研鑽を積んだ。 帰国後の活動:上海滞在後は東京に居を構え、画業に専念した。 晩年と死去:1899年(明治32年)、長崎への旅行中、帰路の岡山で母の病気の知らせを受け、脳溢血のため急逝した。享年55。 作風と代表作 大倉雨村の作品は、南宗画の伝統に基づきつつ、中国での研鑽を反映した独自の画風が特徴です。山水画や花鳥画を得意とし、詩情豊かな構図と繊細な筆致が評価されています。 代表作の一例: 「雁来紅にトンボ」:秋の風情を感じさせる花鳥図で、絹本に金泥を用いた肉筆画。 「山水図」:東文研アーカイブに掲載されている作品で、南画の伝統的な技法を用いた山水画。 弟子と影響 大倉雨村は、弟子の育成にも尽力し、宗重望(しげもち)などが知られています。彼の画風は、弟子たちにも受け継がれ、南画の発展に寄与しました。 現存作品と評価 現在、大倉雨村の作品は、オークションや古美術商を通じて市場に出回っており、収集家や研究者の間で評価されています。彼の作品は、南画の伝統を継承しつつ、中国での研鑽を反映した独自の画風が特徴であり、明治時代の日本画壇において重要な位置を占めています。 |