十市王洋とおちおうよう
時代 | 明治時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 日本画 |
プロフィール | ?-1897 江戸後期-明治時代の日本画家。 十市石谷(せきこく)の子。豊後(ぶんご)(大分県)杵築(きつき)藩士。父に画の手ほどきをうけ,田能村竹田(たのむら-ちくでん)に私淑(ししゅく)。長崎の鉄翁祖門(てっとう-そもん),国学者の物集高世(もずめ-たかよ)にもまなぶ。和歌もよくした。明治30年1月8日死去。名は安居(やすおき)。通称は錫,左衛士。 十市 王洋(とおち おうよう)は、幕末から明治時代にかけて活躍した日本の南画家(文人画家)です。特に山水画に優れ、伝統的な南画の技法に独自の感性を加えたことで知られています。また、書や詩にも通じ、文人としての教養を備えた典型的な人物でした。 【基本情報】 名前:十市 王洋(とおち おうよう) 本名:詳細不明 号:王洋(おうよう) 生年:文化年間(1804年~1818年)の生まれとされる(正確な年は不詳) 没年:明治中期ごろ(正確な没年も不詳) 出身地:大和国(現在の奈良県) 【活動の背景】 ■ 南画の道に進む 十市王洋は、若い頃から書画に親しみ、特に中国明清画の影響を強く受けました。 南宗画(南画)の流派に属し、浦上玉堂や田能村竹田などの文人画家に影響を受けています。 山水画に優れ、雄大かつ繊細な風景表現を得意としました。 ■ 漢詩・書にも秀でる 彼は漢詩や書もたしなみ、作品には自作の詩を賛として添えることが多くありました。 書は行書・草書に巧みで、絵画と調和する美しい筆致を持っていたと伝えられます。 文人としての総合的な素養が高く、奈良を中心に文人サロンのような文化交流の場を持っていたともいわれています。 ■ 教育活動 晩年は後進の育成に力を注ぎ、多くの門人を育てました。 奈良や京都の文人社会に一定の影響を与え、地域文化の発展にも貢献しています。 【作風の特徴】 南宗画の伝統を踏まえながらも、日本の自然風土に根ざした情緒的な表現が特徴です。 山水画では、霧や霞を巧みに描き、静寂と幽玄の世界観を表現しました。 墨の濃淡を駆使し、余白を活かした画面構成を得意としています。 花鳥画や人物画も手がけましたが、もっとも高く評価されたのは山水画です。 【主な作品と伝来】 現存する作品は少ないものの、以下のような作品が知られています。 「秋景山水図」 「幽谷清韻図」 「竹林閑居図」 これらは奈良県内の旧家や古美術商を通じて伝えられており、一部は個人蔵とされています。 【晩年と評価】 晩年は奈良を拠点に隠棲しつつ、詩画を楽しむ静かな生活を送ったと伝えられます。 彼の作品は現在、南画の成熟期を代表する優品として評価されていますが、知名度はやや限られており、一部の収集家や研究者によって再発見されています。 |