池原日南いけはらにちなん

時代 明治時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 日本画
プロフィール 1830-1884 幕末-明治時代の医師,国学者。
天保(てんぽう)元年生まれ。備前岡山藩の上田及淵(しきぶち)にまなぶ。安政3年郷里の肥前長崎で眼科医を開業,かたわら国学をおしえた。のち宮内省文学御用掛。明治17年7月14日死去。55歳。名は香穉(かわか)。著作に「みとものかず」。

池原日南(いけはら にちなん、1830年〈天保元年〉生まれ、1884年〈明治17年〉7月14日没)は、幕末から明治時代にかけて活躍した医師・国学者・文人画家です。本名は香穉(かわか)で、日南は雅号として用いました。

生涯と学問
池原日南は、肥前国(現在の長崎県)出身で、備前岡山藩の国学者・上田及淵(しきぶち)に学びました。安政3年(1856年)には郷里の長崎で眼科医を開業し、医業の傍ら国学の教育にも従事しました。その後、宮内省の文学御用掛としても活動し、明治天皇の巡幸記録である『みとものかず』を著しました。


芸術活動と作品
池原日南は、画家としても才能を発揮し、石橋融思に師事して南画や狩野派、土佐派などの技法を習得しました。彼の作品は、短冊や掛け軸に和歌や詩を揮毫したものが多く、現在も古美術市場で見かけることがあります。

遺された作品と評価
池原日南の作品は、古書店やオークションなどで取引されており、彼の詩文や書画は、幕末から明治初期の文人文化を伝える貴重な資料とされています。特に、明治天皇の巡幸記録である『みとものかず』は、当時の歴史や文化を知る上で重要な文献です。

池原日南は、医師、国学者、画家として多方面で活躍し、幕末から明治時代の文化に大きな足跡を残しました。彼の作品や著作は、当時の知識人の教養や美意識を今に伝える貴重な遺産となっています。