住吉広賢すみよしひろかた

時代 明治時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 日本画
プロフィール 幕末・明治の画家。遠藤広実の子、のち住吉弘貫の嗣となる。通称は内記。幕府御用絵師をつとめた。明治16年(1883)歿、49才。

住吉広賢(すみよし ひろかた、1835年〈天保6年〉– 1883年〈明治16年〉)は、幕末から明治初期にかけて活躍した日本画家であり、住吉派の第八代当主です。彼は大和絵の伝統を継承しつつ、明治維新後の新政府にも仕え、近代日本画の発展に寄与しました。

生涯と経歴
出自と養子縁組:遠藤広実の三男として生まれ、幼名は茂三郎。後に住吉弘貫の養子となり、住吉家を継ぎました。通称は内記、別号に藤廻屋、等塵があります。

幕末期の活動:幕府の御用絵師として、江戸城の障壁画制作などに従事しました。

明治維新後の転機:1868年(慶応4年)に幕府の御用絵師を解任されましたが、同年9月に新政府から出仕を命じられ、東京府に属しました。その後、内務省などで画事を担当し、官公庁の依頼による模写や復元作業に従事しました。

晩年と死去:1883年(明治16年)に49歳で没し、多磨霊園に葬られました。

作風と代表作
大和絵の継承と発展:住吉派の伝統を守りつつ、写実的な描写や西洋画の技法も取り入れ、近代日本画の基礎を築きました。
代表作:
「清少納言図」(愛媛県美術館所蔵)
「弁才天像」(ボストン美術館所蔵)
「千早城籠城図」(敦賀市立博物館所蔵)

模写・復元作品:「明恵上人像」や「石山寺縁起絵巻」など、古画の模写や復元にも力を注ぎました。

フェノロサとの関係
明治11年(1878年)に来日したアーネスト・フェノロサと親交を結び、彼の日本美術研究に協力しました。フェノロサは、住吉広賢からやまと絵の鑑定を学び、日本美術の収集や研究において指導的な役割を果たしました。

住吉広賢は、伝統的な大和絵の技法を継承しつつ、明治維新後の新たな時代に対応した作品を制作し、近代日本画の発展に寄与しました。彼の作品は、国内外の美術館に所蔵されており、現在も高く評価されています。