木田華堂きだかどう
時代 | 明治時代 |
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カテゴリー | 絵画、書画 |
作品種別 | 日本画 |
プロフィール | 幕末・明治の画家。美濃生。名は景静、字は伯寿、別号に竹石居・半舟翁等。京に出て岸駒・岸岱に学び、のち名古屋に住し画業を開く。名古屋に於ける岸派の祖といわれる。明治12年(1879)歿、68才。 木田華堂(きだ かどう、1802年〈享和2年〉– 1879年〈明治12年〉2月7日)は、江戸時代後期から明治初期にかけて活躍した日本画家で、名古屋における岸派の祖とされています。名は景静(けいせい)、字は伯寿(はくじゅ)、号に竹石居(ちくせききょ)、半舟翁(はんしゅうおう)などがあります。美濃国不破郡今須(現在の岐阜県関ケ原町)出身です。 略歴と画業 若くして両親を亡くした木田華堂は、上洛して岸駒や岸岱に師事し、日本画を学びました。嘉永元年(1848年)頃、名古屋市広井水車町で画業を始め、評判を得て尾張藩に招かれ、藩の御用絵師となりました。名古屋における岸派の祖として知られています。 作品と作風 木田華堂は、花鳥画や人物画を得意とし、繊細な筆致と優雅な構図で知られています。代表作には、妙應寺所蔵の「妙應大姉縁起図絵」や一宮市博物館所蔵の「富貴祝寿之図」などがあります。また、名古屋市博物館では、春江院の書院を飾る襖絵「波千鳥図襖絵」が展示されました。 所蔵・展示 木田華堂の作品は、一宮市博物館や名古屋市博物館などに所蔵されており、展覧会などで公開されることがあります。また、オークションや古美術市場でも彼の作品が取り扱われており、現在でも高い評価を受けています。 木田華堂は、江戸から明治への激動の時代において、伝統的な日本画の技法を継承しつつ、名古屋における岸派の礎を築いた画家です。その作品は、現在でも日本美術史や書画研究において重要な資料とされています。 |