井上竹逸いのうえちくいつ

時代 明治時代
カテゴリー 絵画、書画
作品種別 日本画
プロフィール 1814-1886 江戸後期-明治時代の画家。
文化11年生まれ。幕臣梶川与曾兵衛につかえ文武を修業,長崎の高島秋帆に砲術をまなぶ。のち谷文晁(ぶんちょう),渡辺崋山(かざん)に師事,花鳥山水画を得意とした。明治19年4月3日(2月28日説もある)死去。73歳。名は令徳。字(あざな)は季蔵。通称は玄蔵。


井上竹逸(いのうえ ちくいつ、1814年〈文化11年〉–1886年〈明治19年〉)は、江戸後期から明治時代にかけて活躍した日本の画家で、特に南画(文人画)を得意としました。


略歴と学び
井上竹逸は、幕臣・梶川与曾兵衛に仕え、文武を修めました。その後、長崎で高島秋帆に西洋砲術を学び、軍事的知識を身につけました。さらに、画家としての道を志し、谷文晁や渡辺崋山に師事しました。渡辺崋山の門下では、椿椿山、福田半香、山本琹谷、平井顕斎らと並ぶ優れた弟子の一人として知られています。


作風と作品
井上竹逸は、花鳥画や山水画を得意とし、南画の伝統を受け継ぎながらも、師である渡辺崋山の影響を受け、西洋画の立体感や写実性を取り入れた独自の作風を確立しました。彼の作品は、繊細な筆致と豊かな表現力で評価されています。

代表作としては、明治11年(1878年)に制作された「万里長江巻」や「山水図」などがあり、これらは田原市博物館に所蔵されています。


所蔵・展示
井上竹逸の作品は、田原市博物館などに所蔵されており、展覧会などで公開されることがあります。また、古美術市場でも彼の作品が取り扱われることがあり、南画愛好家の間で高い評価を受けています。

井上竹逸は、江戸から明治への激動の時代において、伝統と革新を融合させた画風で、日本画の発展に貢献した画家の一人です。彼の作品を通じて、その時代の美意識や文化的背景を感じ取ることができます。