猪瀬東寧いのせとうねい

時代 明治時代
カテゴリー 絵画、書画
作品種別 日本画
プロフィール 1838-1908 幕末-明治時代の日本画家。
天保(てんぽう)9年10月5日生まれ。京都の日根対山にまなぶ。明治14年,36年の内国勧業博覧会で受賞。30年川村雨谷らと東京南画会を結成した。明治41年4月23日死去。71歳。下総(しもうさ)豊田郡(茨城県)出身。名は恕。字(あざな)は如心。別号に専斎,晩香堂。作品に「山水八曲屏風(びょうぶ)」,著作に「名蹟撮要」。

猪瀬東寧(いのせ とうねい、1838年〈天保9年〉10月5日 – 1908年〈明治41年〉4月23日)は、幕末から明治時代にかけて活躍した日本の南画家です。本名は恕(じょ)、字(あざな)は如心(じょしん)、別号に専斎(せんさい)、晩香堂(ばんこうどう)などがあります。現在の茨城県にあたる下総国豊田郡の出身で、京都の画家・日根対山に師事し、南画の技法を学びました。

作風と代表作
猪瀬東寧は、伝統的な南画の技法を基盤にしつつ、独自の詩情豊かな山水画を描きました。彼の作品には、墨の濃淡や余白を巧みに活かした表現が見られます。代表作の一つに「水墨溪澗飛瀑図」があり、画面右上に「溪澗飛瀑」と題記され、その下に「東寧釣人恕」と記されています。また、白文方印の「猪瀬恕印」と「東寧釣徒」の印章が押されています。

展覧会と評価
猪瀬東寧は、明治14年(1881年)と明治36年(1903年)の内国勧業博覧会で受賞するなど、その画才が高く評価されました。また、明治30年(1897年)には、川村雨谷らとともに東京南画会を結成し、南画の普及と発展に尽力しました。


著作と教育活動
猪瀬東寧は、画業だけでなく教育や著述にも力を注ぎました。著作に『名蹟撮要』があり、これは名所旧跡を描いた作品集で、当時の文化や風景を伝える貴重な資料となっています。

猪瀬東寧は、南画の伝統を継承しつつも、独自の表現を追求した画家であり、その作品は現在も多くの人々に親しまれています。彼の作品は、美術館や展覧会などで鑑賞することができます。