葛飾為斎かつしかいさい
時代 | 明治時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 日本画 |
プロフィール | 葛飾 為斎(かつしか いさい、文政4年〈1821年〉 - 明治13年〈1880年〉6月)とは、江戸時代後期の浮世絵師。 葛飾為斎(かつしか いさい、1821年〈文政4年〉– 1880年〈明治13年〉6月)は、江戸時代後期から明治時代にかけて活躍した浮世絵師で、葛飾北斎の門人として知られています。本姓は清水、通称は宗次。画号としては「酔桜軒」や「酔桜楼」などを用いました。 生涯と画業 為斎は江戸(現在の東京都)で生まれ、浅草蔵前や向島などに居住していたとされています。葛飾北斎に師事し、錦絵、版本の挿絵、肉筆画など多岐にわたる作品を手がけました。作画活動の時期は嘉永から明治初期にかけてであり、特に安政6年(1859年)に横浜港が開港された後は、海外輸出向けの浮世絵を多く制作し、外国人にも好評を得たと伝えられています。 また、信州の小布施村を二度訪れ、高井鴻山などと交流を持ちました。晩年は横浜に居住し、同地で没しました。 主な作品 為斎の代表的な作品には以下のようなものがあります: 『量地図説』:嘉永5年(1852年)刊行の測量書で、甲斐広永編。 『日蓮上人一代図会』:安政5年(1858年)刊行の読本、全六巻。 『為斎画式』:元治元年(1864年)刊行の絵手本。 『花鳥山水図式』:慶応元年(1865年)刊行の絵手本、全五編。 「生首図」:絹本着色、扇面、大般若心経付き。 「玉巵弾琴図屏風」:紙本着色、六曲一双、長野県信濃町雲龍寺所蔵。 「雷神図」:紙本着色。 これらの作品は、ミネアポリス美術館やメトロポリタン美術館など、国内外の美術館に所蔵されています。 葛飾為斎は、師である葛飾北斎の影響を受けつつも、独自の画風を確立し、幕末から明治初期にかけての浮世絵界で活躍しました。その作品は、国内外で高く評価され、現在も多くの美術館で鑑賞することができます。 |