長尾無墨ながおむぼく

時代 明治時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 日本画
プロフィール 幕末・明治の高遠藩士。号は天雁。田能村竹田の門。詩文・絵画を能くし、藩校進徳館が創設されたとき大助教に任じられた。のち洗馬・大町で漁樵吟社を起し、子弟の教育にあたる。無墨がまとめた説論要略は、信州教育史上重要な記録である。著者に『無墨百律』『善光寺繁昌記』がある。明治27年(1894)歿。

長尾無墨(ながお むぼく)は、江戸時代後期から明治時代にかけて活動した南画(文人画)の画家です。独特の余白美や淡墨(たんぼく)を用いた静謐な作風で知られ、名の「無墨」には「墨を用いずして表現する」という、高度な文人画理念を象徴する意味合いも込められています。

【基本情報】
名前:長尾無墨(ながお むぼく)
生没年:不詳(江戸後期~明治初期に活動)
出身地:詳細不明(京都や大阪での活動が多く記録に残る)
流派:南画(文人画)
別号:無墨斎(むぼくさい)、静閑道人
【作風の特徴】
淡墨と余白を生かす表現
墨の濃淡やわずかな筆致で、景色や感情を巧みに表現する技法を得意としました。とくに山水画では、靄(もや)や霞(かすみ)を描かずして感じさせるような、空間表現に優れています。
詩書画一致の精神
作品の中に自らの漢詩や名言を添えることが多く、書画が調和した作品が多く残されています。これにより、一幅の絵から自然観や人生観が伝わるよう工夫されていました。
得意としたモチーフ
山水画:清閑な山間の風景や渓流、滝などを簡潔な筆致で表現
花鳥画:特に梅、竹、蘭など、文人好みの「四君子(しくんし)」を多く描いた
高士図・隠者図:世俗から離れた理想的な人物像を描くことを好んだ
【思想・美学】
「無墨」という号には、単に淡墨を用いるだけではなく、「形にとらわれず、心で感じる絵」を描こうとする精神が込められていました。
中国宋代の文人画家・牧谿(ぼくけい)や、日本では池大雅(いけのたいが)、**与謝蕪村(よさぶそん)**らの影響を受けたと考えられています。
【作品の評価と伝来】
その繊細な美学は、一部の文人や知識層に高く評価されましたが、派手な作風ではなかったため、広く一般にはあまり知られていません。
現存作品は非常に少なく、多くは個人所蔵や寺社の掛け軸などに留まっています。
【代表的な作品】
『淡彩山水図』
『寒梅幽香図』
『蘭竹図』