鶴沢探真つるさわたんしん
時代 | 明治時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 日本画 |
プロフィール | 1834-1893 幕末-明治時代の日本画家。 天保(てんぽう)5年1月28日生まれ。狩野派の画法を父鶴沢探竜にまなぶ。御所の絵師をつとめ,文久元年法眼(ほうげん)。のち帝国博物館御用掛,宮内省御用掛などをつとめた。明治26年6月30日死去。60歳。京都出身。名は守保。別号に探玄,九皐館。作品に「雨中鷺荷図」など。 鶴沢探真(つるさわ たんしん、1834年1月28日 – 1893年6月30日)は、幕末から明治時代にかけて活躍した日本画家であり、京都を拠点とする鶴沢派の重要な絵師の一人です。彼は、朝廷や政府の御用絵師としても知られ、狩野派の伝統を受け継ぎつつ、時代の変化に対応した画風を展開しました。 基本情報 本名:守保(もりやす) 号:探玄(たんげん)、九皐館(きゅうこうかん) 出身地:京都 父:鶴沢探竜(たんりゅう) 生没年:1834年1月28日(天保5年) – 1893年6月30日(明治26年) 経歴と活動 鶴沢探真は、父・探竜から狩野派の画法を学び、若くして才能を認められました。文久元年(1861年)には、法眼の位を授かり、御所の絵師として活躍しました。明治時代に入ってからは、帝国博物館や宮内省の御用掛を務め、政府の公式な美術事業にも関与しました。彼の作品には、「雨中鷺荷図」などがあり、伝統的な技法と写実的な表現を融合させた画風が特徴です。 鶴沢派とその位置づけ 鶴沢派は、狩野探幽の弟子である探山が創始した画派で、京都を中心に活動しました。土佐派と並んで朝廷の画事を担い、京の絵師を取りまとめる役割を果たしました。鶴沢派は、江戸時代から明治時代にかけて、朝廷の御用絵師としての地位を維持し、伝統的な日本画の継承と発展に寄与しました。 代表作と展覧会 鶴沢探真の代表作の一つに、「群鶴図屏風」があります。この作品は、七宝庵コレクションに所蔵されており、京都文化博物館で開催された特別展「鶴澤派探求 ─朝廷御用絵師の要─」(2024年11月30日〜2025年1月26日)に出品されました。この展覧会では、鶴沢派の歴史や作品が紹介され、その芸術的価値が再評価されました。 鶴沢探真は、狩野派の伝統を受け継ぎながらも、明治時代の新しい時代に対応した画風を展開し、日本画の発展に貢献した画家です。彼の作品や活動は、現在でも美術館や展覧会で紹介されており、その芸術的価値が再評価されています。 |