中西耕石なかにしこうせき
時代 | 明治時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 日本画 |
プロフィール | 中西 耕石(なかにし こうせき、1807年(文化4年) - 1884年(明治17年)1月9日)は、江戸時代後期から明治時代の日本画家。筑前国芦屋中小路(福岡県芦屋町)出身。名を寿平、後に寿。字は亀年。別号に竹叟、筌岡など。山水画、花鳥画に優品を残した。 中西耕石(なかにし こうせき、1807年〈文化4年〉– 1884年〈明治17年〉1月9日)は、江戸時代後期から明治時代にかけて活躍した南画家であり、福岡県(旧筑前国)出身です。名は寿(ことぶき)、字は亀年(きねん)、別号に竹叟(ちくそう)や筌岡(せんこう)などがあります。山水画や花鳥画に優れ、日根対山や前田暢堂とともに「対暢耕」と称され、幕末から明治初期の南画界を代表する存在でした。 生涯と画業 中西耕石は、現在の福岡県遠賀郡芦屋町に生まれました。生家は陶工または紺屋(染物業)とも伝えられています。若くして京都に上り、四条派の松村景文に師事して画技を学びました。その後、大坂で儒学者の篠崎小竹に漢学を学び、再び京都に戻って小田海僊に南画を学びました。これらの学びを通じて、山水画や花鳥画において独自の画風を確立しました。 幕末には、筑前藩や津藩から禄米を受けるなど、画家として高い評価を受けました。明治13年(1880年)には京都府画学校の設立に際して出仕し、明治15年(1882年)には同校の教授に就任しました。また、同年の第1回内国絵画共進会では銅賞を受賞し、絵事功労褒状を授与されました。 作風と代表作 中西耕石の作品は、四条派の写実的な描写と南画の詩情豊かな表現を融合させたもので、山水画や花鳥画において高い評価を受けています。代表作には以下のようなものがあります: 『雪中三顧図』:三国志の「三顧の礼」を題材にした作品で、雪景色の中での人物描写が秀逸です。 『越渓秋雨図』:秋の渓谷に降る雨を描いた作品で、静寂な情景が表現されています。 『山人観瀑図』:山中で滝を眺める人物を描いた作品で、自然との一体感が感じられます。 これらの作品は、福岡県立美術館などで所蔵・展示されています。 教育と後進の育成 中西耕石は、多くの弟子を育て、福岡南画壇の発展に寄与しました。門下には、吉嗣拝山や上田鉄耕、衣笠豪谷などがいます。彼らは、師の教えを受け継ぎ、各々の分野で活躍しました。 中西耕石の作品は、現在も各地の美術館で所蔵・展示されており、その芸術性と技術は高く評価されています。特に、福岡県立美術館などで、彼の作品を鑑賞することができます。 |