岸竹堂きしちくどう

時代 明治時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 日本画
プロフィール 岸 竹堂(きし ちくどう、文政9年4月22日(1826年5月28日) - 明治30年(1897年)7月27日)は、日本の幕末から明治時代に活躍した日本画家。幼名は米吉、名は昌禄、字は子和、通称は八郎。竹堂は号で、他に残夢、真月、虎林、如花など。岸派の4代目で、明治期の京都画壇で、森寛斎、幸野楳嶺とともに3巨頭の1人に数えられた画家である。

岸竹堂(きし ちくどう、1826年5月28日〈文政9年4月22日〉– 1897年7月27日〈明治30年〉)は、幕末から明治時代にかけて活躍した日本画家で、岸派の第4代当主として知られています。動物画、特に虎の描写に優れ、近代京都画壇の黎明期に大きな影響を与えました。


生涯と画業
出自と初期の学び:彦根藩士・寺井孫次郎の三男として生まれ、11歳で地元の狩野派絵師・中島安泰に師事しました。17歳で京都に上り、狩野永岳に入門しますが、粉本模写中心の学習法に疑問を抱き、1年足らずで離門しました。

岸派への転向と家督継承:その後、岸派第3代・岸連山に師事し、連山の婿養子となって1859年に家督を継承しました。御所造営の障壁画制作や有栖川宮家の御用絵師としても活躍しました。

明治期の活動:明治維新後の困難な時期には、友禅染の下絵制作を手がけ、写生を重視した新たな図案で好評を博しました。また、博覧会や絵画共進会で受賞を重ね、京都府画学校の教授や帝室技芸員にも任命されました。

作風と技法
岸竹堂は、岸派の伝統を継承しながらも、諸派の技法や洋画の写実的描写を取り入れ、近代日本画の発展に寄与しました。特に虎図を得意とし、その精緻な描写は高く評価されています。


代表作と所蔵先
『猛虎図』:1890年の第3回内国勧業博覧会に出品し、妙技二等賞を受賞しました。

『虎図』:1893年のシカゴ万国博覧会で銅牌を受賞しました。

『群鳥図』:敦賀市立博物館所蔵。

『華厳滝図』:敦賀市立博物館所蔵。

教育と後進の育成
京都府画学校の教授として、森寛斎や幸野楳嶺らとともに後進の育成に努め、近代京都画壇の基礎を築きました。彼の教えは、写生を重視し、伝統と革新を融合させたもので、多くの弟子たちに影響を与えました。

岸竹堂の作品は、現在も各地の美術館で所蔵・展示されており、その芸術性と技術は高く評価されています。特に虎図に関しては、滋賀県立美術館などで鑑賞することができます。