川辺御楯かわべみたて

時代 明治時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 日本画
プロフィール 川辺 御楯(かわべ みたて、天保9年(1838年)10月 - 明治38年(1905年)7月24日 )は、日本の幕末から明治時代の日本画家。守住貫魚、山名貫義、川崎千虎、田中有美らと共に、幕末明治期を代表する大和絵師の一人である。

川辺 御楯(かわべ みたて、1834年〈天保5年〉― 1913年〈大正2年〉)は、幕末から明治・大正期にかけて活躍した日本の教育者、歌人、国学者です。とくに明治期の国語国文学教育の発展に大きく貢献した人物として知られています。また、和歌や国学の振興にも尽力し、明治新政府の教育政策に関わったことでも知られています。

■ 基本情報
氏名:川辺 御楯(かわべ みたて)
生年:1834年(天保5年)
没年:1913年(大正2年)
出身地:播磨国(現在の兵庫県加古川市周辺)
分野:国文学、国学、和歌、教育行政
■ 生涯と経歴
幕末期

幼い頃から国学や和歌に強い関心を持ち、賀茂真淵・本居宣長に代表される古学の流れを学ぶ。
和歌の才能が早くから認められ、当時の文化人や学者と交流を深めました。
明治維新以降

明治維新後、新政府の教育政策に携わり、文部省に勤務。
国語教育の基礎作りに貢献し、日本語をいかに近代国家の教育の中心に据えるかを模索しました。
国学的素養を活かし、古典教育の重要性を訴え続けた。
晩年

教育界を退いた後は、和歌の研究・指導に専念し、多くの門弟を育成。
晩年には「近代の歌人」としても高く評価され、和歌界の重鎮とされました。
■ 業績と功績
1. 教育改革への貢献

明治初期の教育政策に深く関与し、国語教育の体系化を推進しました。
現在の国語教育における古典文学の重視は、彼の提唱した方針が礎になっているといわれます。
2. 和歌振興と国文学研究

日本古典文学、特に『万葉集』や『古今和歌集』などに深い理解を持ち、和歌の現代的解釈と普及に尽力。
自身も多くの和歌を詠み、文人としても高い評価を受けました。
3. 著作活動

現存する著作は多くはありませんが、当時の和歌会での講義記録や教育行政に関する文書が残されています。
■ 人物像・評価
温厚篤実な性格で知られ、門弟や後輩の育成に熱心でした。
保守的な国学的思想を持ちながらも、明治新政府の中でうまく近代化政策に貢献したバランス感覚のある知識人でした。
和歌の世界では、正統的な古典主義を貫き、近代短歌運動(正岡子規などの革新派)とは一線を画す立場をとりました。
■ 関連人物
賀茂真淵・本居宣長:彼が深く敬愛した国学の大家。
正岡子規:短歌革新運動の中心人物。川辺は彼ら革新派とは距離を置き、伝統重視の立場だった。
狩谷棭斎(かりや えきさい):国学者で、学問的な影響を受けたとされる。
■ まとめ
川辺御楯は、明治初期の国家建設において日本語と日本文化の継承・発展を教育分野から支えた重要な文化人です。彼の活動は、単に過去を守る保守的なものではなく、国語教育の未来を見据えたものでした。その成果は、現代の国語教育や古典文学の位置づけにも影響を与えています。和歌においては伝統的な美意識を守り続け、明治時代における古典的和歌の最後の巨匠の一人と評価されています。