平福穂庵ひらふくすいあん
時代 | 明治時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 日本画 |
プロフィール | 1844-1890 明治時代の日本画家。 天保(てんぽう)15年10月18日生まれ。平福百穂(ひゃくすい)の父。円山四条派の武村文海にまなぶ。明治13年秋田勧業博覧会で「乞食図」が一等賞,23年内国勧業博覧会で「乳虎図」が妙技二等賞となった。門下に寺崎広業(こうぎょう)ら。明治23年12月11日死去。47歳。出羽(でわ)角館(秋田県)出身。名は芸(うん)。通称は順蔵。別号に文池。 平福穂庵(ひらふく すいあん、1844年11月27日〈天保15年〉 – 1890年12月11日〈明治23年〉)は、明治時代前期に活躍した日本画家で、近代日本画の先駆者の一人とされています。秋田県仙北市角館町に生まれ、本名は芸(うん)、通称は順蔵、別号に文池があります。彼の作品は、写実的な表現と伝統的な画法を融合させた独自の画風で知られています。 経歴と画業 幼少期と修行時代:父・平福太治右衛門(画号:文浪)から絵を学び、地元の絵師・武村文海に円山四条派の絵を習得しました。16歳の時、京都に遊学し、師につかずに古画の模写や風景写生に専念しました。 北海道での活動:明治5年(1872年)、北海道を訪れ、アイヌの生活を描いた作品を多数制作しました。この経験が彼の画風に新たな視点をもたらしました。 展覧会での評価:明治13年(1880年)、第3回秋田県勧業博覧会に「乞食図」を出品し、1等賞を受賞。明治23年(1890年)、第3回内国勧業博覧会で「乳虎図」が妙技二等賞を受賞し、中央画壇での地位を確立しました。 代表作品 乞食図:社会の底辺で生きる人々を描いた作品で、写実的な表現が評価されました。明治13年の博覧会で1等賞を受賞し、翌年の内国絵画共進会でも褒状を受けました。 乳虎図:虎の親子を描いた作品で、明治23年の内国勧業博覧会で妙技二等賞を受賞しました。秋田県指定文化財として、秋田県立近代美術館に所蔵されています。 松前アイヌ帰漁の図:北海道での取材をもとに、アイヌの人々の生活を描いた作品です。仙北市立角館町平福記念美術館に所蔵されています。 家族と弟子 平福百穂:四男であり、父の画風を受け継ぎつつ、自然主義的表現を導入した日本画家として活躍しました。帝国美術院会員や東京美術学校教授を務めました。 寺崎広業:弟子の一人で、後に日本画壇で活躍しました。穂庵の教えを受け、写実的な表現を追求しました。 平福穂庵の作品は、秋田県立近代美術館や仙北市立角館町平福記念美術館などで鑑賞することができます。彼の写実的な表現と伝統的な画法の融合は、近代日本画の発展に大きく貢献しました。 |