川原慶賀かわはらけいが
時代 | 江戸時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 浮世絵 |
プロフィール | 川原 慶賀(かわはら けいが、天明6年(1786年) - 万延元年(1860年)以降)は江戸時代後期の長崎の画家である。出島出入絵師として風俗画、肖像画に加え生物の詳細な写生図を描いた。諱(字とも)は種美、通称は登与助(とよすけ)。慶賀は号である。別号に聴月楼主人。後に田口姓を名乗る。息子の川原盧谷も父に学び、洋風画を描いた。 川原慶賀(かわはら けいが/かわはら けいがく)は、江戸時代後期に長崎で活動した絵師・写生家であり、特に出島に滞在したオランダ商館員のために描いた写生画・博物図で名高い人物です。近世日本と西洋の交差点「長崎」において、異文化を橋渡しするビジュアルの担い手でした。 基本情報 名前:川原慶賀(かわはら けいが) 生没年:生年不詳(1770年頃?)〜没年不詳(1850年頃?) 出身:肥前国長崎 職業:写生画家、通詞(補助的な役割)、博物図解者 活動時期:文化〜天保年間(1804年〜1840年頃)を中心に活躍 川原慶賀の特徴と活動内容 1. オランダ商館との関係 慶賀は、出島のオランダ商館付きの通詞(通訳)や絵師として活動。 特にシーボルト(Philipp Franz von Siebold)の日本滞在中(1823〜1829年)に、シーボルトの依頼で数多くの日本の植物、動物、人々、風俗、衣服、道具類などを写生。 彼の絵は、シーボルトがヨーロッパに持ち帰り、博物図譜『日本(NIPPON)』などに大きく活用された。 2. 写実的な描写 川原慶賀の画風は、極めて写実的・科学的で、西洋博物学の視点に応えるもの。 色彩は鮮やかで、対象物の構造・質感・自然な形態を詳細に表現。 西洋のボタニカルアート(植物図)に匹敵する水準。 3. 代表的な題材 植物(薬草、花、作物など) 動物(鳥類、魚類、哺乳類、昆虫) 風俗画(武士、農民、芸者などの人物像) 医療道具や衣服、日用品の図解 関連人物 人物 関係 フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト 川原慶賀の主要なパトロン。多くの写生画を依頼 石川大浪(いしかわ たいろう) 同時期に活動した長崎派の写生画家。比較される存在 楽山堂蔵版者 長崎版の出版に関与した書肆で、慶賀の絵も関係あり 残された作品と資料 慶賀の作品は日本よりもむしろヨーロッパに数多く残されている。 主要な収蔵先は以下の通り: 収蔵機関 所蔵作品の内容 ライデン国立民族学博物館(オランダ) シーボルト収集品の中核。動植物写生画が多数 ドイツ・ミュンヘン大学図書館 『日本』制作に使われた原画など 日本国内(長崎歴史文化博物館など) 一部の複製画や関連資料が保存展示されている 画風の特色 明瞭で科学的な構成:植物は根から花、果実まで正確に描写 構図の安定感:一種の学術図版として、観察対象をシンプルかつわかりやすく提示 色の使い分けが鮮やか:水彩絵具や細筆による緻密な彩色が特徴 評価と意義 川原慶賀は、日本絵画史では“写生画・科学図の先駆者”として位置づけられます。 欧州においては、日本の自然と文化を西洋に紹介した第一人者の一人として評価されている。 彼の絵は、近代以前の「日本の自然科学と美術の接点」を象徴しており、今日では国際的な学際研究の重要資料でもある。 まとめ 項目 内容 名前 川原慶賀(かわはら けいが) 活動地 長崎(出島) 主な依頼者 シーボルトほか、オランダ商館関係者 分野 写生画、博物図、風俗画 特徴 極めて写実的。科学・民族誌的価値が高い 現存作品 欧州を中心に多数所蔵。博物学資料として高評価 |