歌川一豊うたがわかずとよ

時代 江戸時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 浮世絵
プロフィール 歌川一豊(うたがわ いちとよ、生没年不詳)は、江戸時代末期から明治時代初期にかけて活動した浮世絵師で、歌川派に属します。彼は歌川芳艶(うたがわ よしつや)の門人であり、初めは「艶豊(つやとよ)」と名乗り、「一耀斎(いちようさい)」の号を使用していました。作画期は文久(1861年〜1864年)から明治初期にかけてとされています。

来歴と人物像
慶応3年(1867年)刊行の『くまなき影』によれば、歌川一豊は神田に住み、八百屋を営んでいたことから「市場豊(いちばとよ)」とも呼ばれていました。重い疱瘡に罹患し、顔貌が鬼のようになってしまったものの、その志は仏のようであったため、ある人から「鬼仏(きぶつ)」という号を贈られたという逸話があります。また、『浮世絵師伝』では俗称を「豊後」とし、初名を「艶春」としていますが、艶豊が正しいとされています。

作品
歌川一豊の作品としては、東京・雑司ヶ谷鬼子母神(法明寺)に奉納された絵馬「坂田金時元服図」が知られています。この絵馬は板地著色で、サイズは縦66.5cm、横90.0cm、奥行2.6cmです。画中には「大願成就 神田竪大工町 西川吉兵衛」と記され、款記として「一耀齋艶豊畫」および「いちば」の朱文方印が押されています。

評価と特徴
歌川一豊は、師である歌川芳艶の画風を継承しつつ、独自の作風を展開しました。彼の作品は、当時の風俗や人物を描いたものが多く、庶民の生活や信仰を反映しています。また、八百屋を営みながら絵師として活動していたことから、庶民の視点を持ち合わせた作品が多いとされています。

歌川一豊の作品は、現在ではあまり多く残っていないものの、浮世絵の研究や収集の分野では注目されています。特に、雑司ヶ谷鬼子母神に奉納された絵馬は、彼の代表作として評価されています。

以上が、歌川一豊についての詳細な情報です。彼の作品や活動は、江戸から明治への過渡期における庶民文化や信仰を理解する上で貴重な資料となっています。