葛飾戴斗かつしかたいと

時代 江戸時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 浮世絵
プロフィール 葛飾 戴斗(かつしか たいと、生没年不詳)とは、江戸時代後期の浮世絵師。

葛飾戴斗(かつしか たいと)は、江戸時代後期に活躍した浮世絵師で、葛飾北斎の門人として知られています。

来歴と人物像
本姓は近藤、名は文雄(ぶんゆう)、通称は伴右衛門(ばんえもん)または喜三郎(きさぶろう)で、但馬国(現在の兵庫県豊岡市)に生まれました。江戸で葛飾北斎に師事し、当初は「斗円楼北泉(とえんろう ほくせん)」と号していました。文政3年(1820年)に北斎から「戴斗」の号を譲られ、二代目戴斗を名乗るようになります 。


彼は北斎の画風を忠実に継承し、肉筆画、版本の挿絵、錦絵など多岐にわたる作品を手がけました。その画力は高く評価されており、北斎門下でも屈指の実力者とされています 。


主な作品と活動
葛飾戴斗の代表的な版本作品には以下のものがあります:

『二十四孝図会』(文政5年、1822年)
『英雄図会』(文政8年、1825年)
『万職図考』(文政10年、1827年)
『花鳥画伝』(嘉永元年、1848年)
『絵本通俗三国志』(全74巻)

また、肉筆画では「神功皇后と武内宿禰図」や「鍾馗図」などが知られており、これらの作品は太田記念美術館や大倉集古館などに所蔵されています 。

晩年と評価
葛飾戴斗は文政から嘉永年間(1818年~1854年)にかけて活動し、1853年に没しました。墓所は兵庫県豊岡市の旧瑞泰寺にあります。彼の作品は、国立世界文化博物館、メトロポリタン美術館、シカゴ美術館など、国内外の美術館に所蔵されており、現在では著作権保護期間が満了しています 。

一部の資料では、晩年に大阪で自らを「北斎」と称したため、「犬北斎」や「大阪北斎」と揶揄されたとの記述もありますが、彼の画力や作品の質に対する評価は高いものがあります 。

葛飾戴斗は、師である葛飾北斎の画風を受け継ぎつつ、独自の作品を多数残した浮世絵師として、現在もその名を知られています。