一鶯斎国周いちおうさいくにちか

時代 江戸時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 浮世絵
プロフィール 豊原 国周(とよはら くにちか、天保6年6月5日〈1835年6月30日〉 - 明治33年〈1900年〉7月1日)は、幕末から明治にかけての浮世絵師。

一鶯斎国周(いちおうさい くにちか)は、幕末から明治時代にかけて活躍した浮世絵師で、役者絵の名手として名高く、歌川派最後の大看板とされる存在です。
本名は荒川清太郎(あらかわ せいたろう)。**歌川国貞(のちの三代豊国)**の弟子で、師の系譜を受け継ぎながらも、時代の変化を巧みに取り込んだ作風で、明治期の浮世絵界を支えました。

【基本情報】

項目 内容
名称 一鶯斎国周(いちおうさい くにちか)
本名 荒川清太郎(あらかわ せいたろう)
生年 1835年(天保6年)
没年 1900年(明治33年)
流派 歌川派(国貞門下)
活動時期 安政〜明治末期(1850年代〜1900年)
画号 一鶯斎、香蝶楼、豊春楼、ほか多数
【画号と署名について】

国周は複数の画号を使い分けており、次のような署名が作品に見られます:

一鶯斎国周画(いちおうさいくにちかが)
香蝶楼国周
豊春楼国周
歌川国周
応需国周筆 など
【作風と特徴】

◆ 役者絵の巨匠
市川団十郎、中村芝翫、尾上菊五郎ら当時の人気歌舞伎役者を精密に描写。
表情豊かで、顔の個性や衣裳の細部に至るまで忠実に表現。
明治期に入っても浮世絵による芝居の広報・記録媒体としての役者絵を継続。
◆ 実写的な描写と色彩
顔のデフォルメを抑えた写実的で端正な顔立ち。
衣装の紋や刺繍も詳細に描かれ、質感表現に優れる。
明治以降の印刷技術に対応しつつ、木版の技を活かした。
◆ 明治の風俗・世相も反映
西洋化された街並みや衣服、文明開化の風景も背景に描くなど、時代の変化を巧みに取り入れた。
新聞錦絵、開化絵も多数制作。
【代表作】

『見立三十六歌仙之内』
『東都名所』
『今様美人競』
『役者大入葉』など、役者見立絵シリーズが多数。
明治天皇や明治政府の絵も描き、時代の御用絵師的存在にもなった。
【評価】

**「最後の浮世絵師」**の一人とも呼ばれる。
写実的な顔と緻密な衣装描写により、近代浮世絵の橋渡し役とされる。
商業的にも成功し、明治期の芝居絵を一手に担った。
【弟子・影響】

弟子には**豊原国周(二代目)**を名乗る者もいたとされるが、明確な後継者は少ない。
明治の新版画や大正の浮世絵復興にも、その作風は影響を与えた。
【まとめ】

項目 内容
活動時期 幕末〜明治(1850〜1900年)
得意分野 役者絵、美人画、明治風俗画
特徴 写実性、衣装描写の巧みさ、時代風刺
画号 一鶯斎、香蝶楼、歌川国周など
評価 歌川派最後の巨匠、明治浮世絵の代表的存在