(二代)歌川広重(にだい)うたがわひろしげ

時代 江戸時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 浮世絵
プロフィール 二代目 歌川広重(にだいめ うたがわ ひろしげ、文政9年〈1826年〉 - 明治2年9月17日〈1869年10月21日〉)とは、江戸時代末期から明治初期にかけての浮世絵師。

(二代)**歌川広重(うたがわ ひろしげ)は、江戸時代末期から明治初期にかけて活動した浮世絵師で、風景画の巨匠として知られる初代・歌川広重(1797–1858)**の名跡を継いだ人物です。初代広重の人気にあやかり、初代の作風を継承・模倣するかたちで制作活動を行った絵師ですが、その実力や評価については賛否があります。

【基本情報】

項目 内容
名前 二代 歌川広重(にだい うたがわ ひろしげ)
本名 不詳(諸説あり)
生没年 生年不詳〜1870年頃(活動:1858年以降)
師匠 初代 歌川広重(歌川豊広の弟子)
流派 歌川派
画号 歌川広重(二代)、重宣(しげのぶ)など
【初代広重との関係】

二代広重は、初代広重の晩年の門弟または養子とされ、師の死後まもなくしてその画号を継承しました。
「広重」という名を継ぐ許可を正式に受けていたかどうかは不明ですが、「広重二代目」「広重重宣」などと自称し活動しました。
【作風と活動内容】

◆ 主に模倣・継承的な作画
初代広重の大ヒット作《東海道五十三次》や《名所江戸百景》などの続編や類似作品を制作。
代表作に《東海道五十三次続編》《諸国名所》など。
色彩や構図は初代を踏襲するも、構成力や筆力は一段劣るとされることが多い。
◆ 技術的な特徴
柔らかな筆致や淡い色調を用いるが、構図の大胆さや風景表現の深みは初代ほどではない。
一部では、歌川芳虎や芳年など、他の浮世絵師の作風との混交も見られる。
【署名の見分け方】

「広重画」だけでは初代か二代かの判別が難しいため、次の点に注目されます:
落款に「重宣」の名を含む場合 → 二代
画風が模写・模倣で構成が弱い → 二代の可能性
版元が幕末〜明治初期のもの → 二代または三代の可能性
【評価と位置づけ】

二代広重の作品は、初代の人気を背景に商業的に制作された側面が強く、美術史的にはやや影が薄い存在とされています。
とはいえ、明治初期の浮世絵界を支えた職人的絵師の一人として、一定の評価を受けています。
現代の骨董市場では、「広重」名義として取り扱われることもあり、注意が必要です。
【後継者について】

初代 → 二代(重宣) → 三代(重宣改め「広重」)と画号は引き継がれ、「広重」の名は明治期まで継承されていきます。
三代は「明治の広重」として知られ、錦絵から新聞画・戦争絵へと時代に応じた作画を行いました。
【まとめ】

項目 内容
名前 二代 歌川広重(広重重宣)
活動時期 1858年以降(明治初期まで)
主な作品 《続東海道五十三次》《続名所江戸百景》など
画風 初代の模倣的だが、丁寧で柔らかい描写
評価 初代に比べ芸術性は劣るが、商業的浮世絵師として一定の地位