(二代)歌川豊国(にだい)うたがわとよくに

時代 江戸時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 浮世絵
プロフィール 二代目 歌川豊国(にだいめ うたがわ とよくに、安永6年〈1777年〉? - 天保6年〈1835年〉)は、江戸時代後期の浮世絵師。一陽斎豊国。


(二代)歌川豊国(うたがわ とよくに、初代:1777年〜1835年)は、江戸時代後期の浮世絵師で、初代歌川豊国(1777–1861)の高弟の一人です。師の死後に「豊国」の名を継ぎ、**二代豊国(にだい とよくに)**と呼ばれるようになりました。

※ただし「二代豊国」は複数の説があり、**歌川国貞(後の三代豊国)**と混同されることが多いため、ここでは狭義の「二代豊国」について解説します。
【基本情報】

名乗り:歌川豊国(二代)、一陽斎豊国とも
本名:不詳
生没年:不詳(活動期は主に文化・文政期、1804年〜1830年頃)
流派:歌川派
師匠:初代歌川豊国
代表弟子:確認されていない(弟子は多くないとされる)
【経歴と画歴】

二代豊国は、初代歌川豊国の高弟で、師から「豊国」の号を許されました。
文化・文政期(1804年〜1829年)を中心に活動し、特に役者絵や美人画を制作しました。
その画風は初代豊国に似ていますが、初代のような構図や色使いの斬新さに欠ける面もあり、評価にはばらつきがあります。
【作風の特徴】

役者絵・美人画が中心:歌舞伎俳優の似顔表現に力を入れつつ、やや様式化された描写。
色彩・構図:初代豊国の影響が色濃いが、弟子・三代豊国(国貞)のようなダイナミックな構図には至らない。
作品数は限られる:活動期間は長くないため、現存作品はあまり多くはない。
【三代豊国(歌川国貞)との混同】

歌川国貞(1786年–1865年)は初代豊国の実質的な後継者で、後に「三代豊国」と名乗りました。
国貞は非常に多作で人気も高かったため、「豊国」と言うと三代を指すことが一般的になり、二代豊国は影の薄い存在となっています。
一部資料では、三代国貞を「二代豊国」として紹介していることもあり、注意が必要です。
【代表作(確認されているもの)】

『役者絵シリーズ』(タイトル不明、数点が確認)
『美人画数点』:大阪や江戸の女遊郭を描いた作品群(特に写楽風の構図も見られる)
※上記はいずれも現存数が少なく、美術館などでも三代の作品と比較して展示機会は限られます。

【歴史的評価】

二代豊国は師・初代豊国の画風を忠実に守り、歌川派の継承者として一定の貢献を果たしましたが、芸術的革新性や人気の面では、後継者・三代豊国(国貞)に大きく及ばなかったと評価されています。
そのため、後世では「名跡を継いだものの実質的には名のみ継いだ存在」として扱われることもあります。