歌川国安うたがわくにやす

時代 江戸時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 江戸時代
プロフィール 歌川 国安(うたがわ くにやす、寛政6年〈1794年〉 - 天保3年7月6日〈1832年8月1日〉)は、江戸時代の浮世絵師。

歌川国安(うたがわ くにやす、1794年〈寛政6年〉 - 1832年〈天保3年〉)は、江戸時代後期に活躍した浮世絵師で、初代歌川豊国の門人として知られています。彼は特に役者絵や美人画、合巻の挿絵などで才能を発揮し、同門の歌川国丸、歌川国直とともに「豊国門人三羽烏」と称されました。

来歴と画号
本名:安治郎
画号:一鳳斎(いっぽうさい)
別名:一時期、「西川安信」と名乗ったこともありますが、すぐに元の国安に戻したようです。

国安は江戸で生まれ、幼少期から初代歌川豊国に師事しました。文化5年(1808年)頃、14歳のときに描いた役者絵に「豊国門人国安」の落款があることから、その時までには入門していたと考えられます。また、当初は師匠のもとに寄宿していたとされ、生家に事情があった可能性があります。

作風と代表作
歌川国安は、役者絵、美人画、合巻の挿絵など幅広い作品を手がけました。特に役者絵においては、歌舞伎役者の特徴を捉えた写実的な描写と繊細な色使いが特徴で、当時の観客や読者に親しまれました。また、美人画では、女性の優雅な姿や日常の風景を巧みに表現しています。

代表作には以下のようなものがあります:

『Yoshiwara san bijin』
『当盛忠臣蔵』
『Anju-hime and Taiômaru』
『髭の伊久 坂東三津五郎』

これらの作品は、ボストン美術館や江戸東京博物館などに所蔵されており、現在でも鑑賞することができます。

門人と影響
歌川国安の門人には、歌川安秀などがいます。彼の画風や技術は、これらの弟子たちを通じて次世代へと受け継がれました。また、同門の歌川国丸、歌川国直とともに「豊国門人三羽烏」と称され、歌川派の中核として活躍しました。

晩年と墓所
天保3年(1832年)7月6日、39歳で亡くなりました。墓所は江戸の本所扇橋にあったとされています。

歌川国安の作品は、江戸時代後期の庶民文化や風俗を知る上で貴重な資料となっています。彼の役者絵や美人画は、当時の人々の生活や感性を映し出しており、現代においてもその芸術的価値が再評価されています。興味のある方は、美術館や博物館で彼の作品を鑑賞してみてはいかがでしょうか。