西川祐尹にしかわすけただ
時代 | 江戸時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 浮世絵 |
プロフィール | 西川 祐尹(にしかわ すけただ、宝永3年〈1706年〉 - 没年不詳)とは、江戸時代中期の京都の浮世絵師。 西川祐尹(にしかわ すけただ、1706年 – 1759年)は、江戸時代中期の京都で活躍した浮世絵師です。父は著名な浮世絵師・西川祐信(すけのぶ)で、祐尹はその長男として生まれ、父の画風を受け継ぎながら自身の作風を確立しました。号は「得祐斎」や「文生堂」を用い、通称は「西川主税(ちから)」と称しました。 来歴と活動 祐尹は、父・祐信のもとで絵を学び、京都の公家・西園寺家に仕える一方で、浮世絵師として活動しました。彼の作画期は寛延年間(1748年頃)から始まり、版本の挿絵や肉筆美人画を多く手がけました。また、儒学や医学にも関心を持ち、『雀論語』という書物を著したとされています。 祐尹の没年については、宝暦12年(1762年)8月25日に57歳で没したとする説もありますが、子孫に伝わる系図や過去帳によれば、宝暦8年(1759年)12月17日に没したとされています。墓所は京都三条大宮の妙泉寺で、法名は徳本院積善浄運居士です。 作品と作風 版本挿絵 祐尹は、以下のような版本の挿絵を手がけました: 『絵本八重桜』(宝暦2年刊行) 『絵本鏡百首』(宝暦2年・3年刊行) 『絵本勇士艸』(宝暦3年刊行) 『絵本響の瀧』(宝暦3年刊行) 『絵本みつの友』(宝暦3年刊行) 『絵本面美花(かおよはな)』(宝暦4年刊行) 『絵本氷面鏡』(宝暦5年刊行) これらの作品では、父・祐信の影響を受けつつも、独自の美人画や風俗画を展開しています。 肉筆画 祐尹の肉筆画には、以下のような作品があります: 「男舞図」(東京国立博物館所蔵):絹本着色で、「文華堂祐信嫡男西川主税祐尹筆」の落款があります。 「立姿美人図」(ニューオータニ美術館所蔵):絹本着色で、「西川祐尹筆」の落款があります。 「春画帖」(個人所蔵):12図からなる春画帖で、「西川祐尹筆」の落款があり、第1図には「文華堂猶児」の関防印があります。 これらの作品では、父・祐信の図様を転用しつつ、独自の表現を加えています。 評価と影響 祐尹は、父・祐信の後継者として、版本挿絵や肉筆画で活躍しました。その技量は父には及ばないと評されることもありますが、独自の作風を持ち、一定の評価を得ています。また、祐尹の弟・西川祐肖も絵師でしたが、延享元年(1744年)に33歳で没しています。西川家は、祐尹の孫の代で医業に転じ、絵師としての系譜は絶えました。 |