安藤広重あんどうひろしげ
時代 | 江戸時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 浮世絵 |
プロフィール | 歌川 広重(うたがわ ひろしげ、寛政9年(1797年) - 安政5年9月6日(1858年10月12日)は、江戸時代末期の浮世絵師。本名は安藤重右衛門。江戸の定火消しの安藤家に生まれ家督を継ぎ、その後に浮世絵師となった。かつては安藤広重(あんどう ひろしげ)とも呼ばれたが、安藤は本姓、広重は号であり、両者を組み合わせて呼ぶのは不適切で、広重自身もそう名乗ったことはない[1]。ゴッホやモネなどの画家に影響を与え、世界的に著名な画家である。 安藤広重(あんどう ひろしげ、1797年〈寛政9年〉– 1858年〈安政5年〉)は、江戸時代後期を代表する浮世絵師で、特に風景画において高く評価されている人物です。彼は「歌川広重(うたがわ ひろしげ)」とも名乗り、葛飾北斎と並び称されるほど、国内外に大きな影響を与えました。 生涯 出生と家系 広重は江戸・八重洲の定火消同心(町火消しの武士階級)・安藤家に生まれました。家業を継ぎながらも絵に強い興味を持ち、十代半ばで浮世絵師・歌川豊広に入門しました。 画業の道へ 1823年(文政6年)、父の死去により家督を継ぎつつ、次第に画業に専念するようになります。最初は役者絵や美人画を描いていましたが、次第に風景画へと傾倒していきました。 死去 1858年、江戸でコレラが流行していた時期に亡くなりました。享年62歳。死後も彼の名声は高まり続け、後世に多大な影響を与えました。 作風と特徴 叙情的な風景表現 広重の風景画は、写実性だけでなく、季節感や叙情性を豊かに表現している点が特徴です。詩情あふれる雨や雪の描写、静かな情景、視覚的なリズム感が独自性を生み出しました。 色彩と構図 藍色を基調とした「藍摺(あいずり)」や、繊細なぼかし技法を駆使し、見る者に静けさや奥行きを感じさせる作品を多数残しました。 シリーズものの名手 一枚絵だけでなく、連作シリーズ(揃物)を得意とし、多くの名作を生み出しました。 主な代表作 『東海道五十三次』(1833年頃) 日本橋から京都までの宿場町を描いた55枚からなる連作。広重の代表作にして、日本美術史上屈指の風景版画シリーズ。 『名所江戸百景』(1856年〜) 江戸の四季折々の風景を描いた全119図のシリーズ。大胆な構図と豊かな色彩感覚が光ります。ゴッホやモネなど、後の西洋印象派にも大きな影響を与えました。 『木曽街道六十九次』(渓斎英泉と共作) 中山道沿いの宿場を描いた連作。自然と人間の営みを繊細に描写しています。 『富士三十六景』 富士山を様々な角度・季節で描いた作品群で、北斎の『富嶽三十六景』に対する広重流の応答とも言えます。 海外への影響 ジャポニスム(Japonisme) 19世紀後半、広重の浮世絵はヨーロッパに渡り、印象派の画家たちに多大な影響を与えました。特にクロード・モネやフィンセント・ファン・ゴッホは、構図や色彩、視点の取り方において広重の作品から学んだとされています。 ゴッホによる模写 ゴッホは『名所江戸百景』の「亀戸梅屋舗」や「大橋あたけの夕立」を模写したことで知られています。 広重の評価と遺産 江戸風景の記録者 単なる美術作品というだけでなく、広重の絵は当時の江戸の風景や庶民の生活、四季の移ろいを記録した貴重な資料ともなっています。 叙情派風景画家 北斎がダイナミックな表現で知られるのに対し、広重は叙情的で静謐な空気感を得意とし、独自の美を築きました。 今も続く人気 現代でも、広重の展覧会は国内外で頻繁に開かれ、多くの人々を魅了しています。 |