勝川春章かつかわしゅんしょう
時代 | 江戸時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 浮世絵 |
プロフィール | 勝川 春章(かつかわ しゅんしょう、享保11年〈1726年〉? - 寛政4年12月8日〈1793年1月19日〉)とは、江戸時代中期を代表する浮世絵師。 勝川春章(かつかわ しゅんしょう、1726年または1743年生まれ、1792年または1793年没)は、江戸時代中期を代表する浮世絵師で、役者絵に写実的な似顔絵を導入した先駆者として知られています。また、葛飾北斎の師匠としても有名です。 生涯と背景 春章の本名は藤原正輝(ふじわら の まさてる)とされ、通称は要助、後に祐助と称しました。号は春章のほか、旭朗井(きょくろうせい)、李林(きりん)、六々庵(ろくろくあん)、縦画生(じゅうがせい)、酉爾(ゆうじ)など多くの号を用いています。彼は宮川長春の門人である宮川春水に師事し、画姓を宮川から勝宮川、さらに勝川と改めました。 春章は明和年間(1764年〜1772年)から没年までを作画期とし、役者絵や相撲絵、美人画など多岐にわたる作品を制作しました。特に、役者の個性を写実的に描いた似顔絵風の役者絵を確立し、大衆の支持を得ました。また、晩年には肉筆美人画に注力し、繊細で優美な作品を多く残しました。 作風と代表作 春章の作品は、明快な色彩と誇張のない表現が特徴で、特に役者の顔を大きく描いた「大首絵」の先駆者とされています。彼の代表作には以下のようなものがあります: 『絵本舞台扇』(1770年):一筆斎文調との合作で、役者の似顔絵を扇の形に仕立てた作品。 『風流錦絵伊勢物語』(1773年):『伊勢物語』の場面を描いた作品。 『青楼美人合姿鏡』(1776年):北尾重政との共作で、遊郭の美人を描いた錦絵本。 『雪月花図』:肉筆画で、美人画の代表作。 『婦女風俗十二ヶ月図』:MOA美術館所蔵の美人風俗画。 これらの作品は、当時の風俗や文化を色濃く反映しており、現在でも高く評価されています。 勝川派と弟子たち 春章は多くの弟子を育て、勝川派を形成しました。その中には、勝川春好、勝川春英、勝川春潮、勝川春林、勝川春童、勝川春常、勝川春泉、勝川春暁、そして後の葛飾北斎こと勝川春朗などがいます。彼らは春章の技法を受け継ぎ、浮世絵界で活躍しました。 晩年と辞世の句 春章は晩年、人形町の地本問屋である林屋七右衛門のもとに寄寓し、画印に同店の壺判を用いたことから「壺屋」「壺春章」とも呼ばれました。また、俳諧を嗜み、酉爾(ゆうじ)や宣富(のぶとみ)という俳号で作品を残しています。 寛政4年(1792年または1793年)12月4日または12月8日に世を去り、戒名は勝誉春章信士。辞世の句として以下が伝えられています: 枯ゆくや 今ぞいふこと よしあしも この句は、死を前にして善し悪しを超越した心境を詠んだものと解釈されています。 |