葛飾北斎かつしかほくさい

時代 江戸時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 浮世絵
プロフィール 葛飾 北斎(かつしか ほくさい、葛飾 北齋、宝暦10年9月23日(1760年10月31日)? - 嘉永2年4月18日(1849年5月10日))とは、江戸時代後期の浮世絵師。化政文化を代表する一人。
代表作に『富嶽三十六景』や『北斎漫画』があり、世界的にも著名な画家である。

葛飾北斎(かつしか ほくさい)について

概要

生没年:1760年(宝暦10年)~1849年(嘉永2年)
出身地:江戸(現在の東京都墨田区)
職業:浮世絵師
代表作:「冨嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)」「北斎漫画(ほくさいまんが)」「百物語」など
葛飾北斎は、江戸時代後期を代表する浮世絵師であり、日本美術史上もっとも国際的に知られた芸術家の一人です。西洋でも彼の影響は非常に大きく、特にフランスの印象派画家たち(モネ、ゴッホなど)に強い影響を与えました。

生涯の流れ

幼少期と修業時代
北斎は江戸本所(現・墨田区)に生まれ、幼い頃から絵に興味を示しました。14歳で木版彫師に弟子入りし、18歳ごろには当時の人気浮世絵師・勝川春章の門人となります。ここで本格的に絵師としての修業を積みました。

独立と画号の変遷
北斎は生涯に30回以上も画号(名前)を変えています。代表的なものに「宗理」「葛飾北斎」「為一(いいつ)」などがあり、名前を変えるごとに作風や活動範囲も大きく変化しました。

壮年期~晩年
50代に入ってから、「北斎漫画」を出版し、大ヒットを記録します。60代では「冨嶽三十六景」シリーズを発表し、絶頂期を迎えました。70代以降も創作意欲は衰えず、「富嶽百景」など精力的な作品制作を続け、90歳近くまで絵を描き続けました。

晩年には「画狂老人卍(がきょうろうじん まんじ)」と号し、「あと五年生きれば真の絵師になれる」と言い残して亡くなりました。

代表作

「冨嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)」
富士山をさまざまな角度・季節・天候から描いた名作シリーズ。
特に「神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)」は世界的にも最も有名な日本美術作品のひとつ。
大胆な構図と鮮やかな色彩、遠近法(西洋画の技法を取り入れた)を融合させた点が特徴。
「北斎漫画」
文字通り、絵入りのスケッチ集。植物、動物、日常生活、人物、妖怪など幅広い題材を収める。
絵手本として大人気を博し、日本全国に広まった。
後世の漫画・アニメ文化の源流のひとつともいわれる。
「百物語」
妖怪や怪談話を題材にした浮世絵集。
特に「お岩さん」や「さらやしき」など、江戸の怪談世界をビジュアル化しており、現代でも人気。
作風と技法の特徴

大胆な構図:画面を斜めに切る、被写体を大胆に拡大するなど、当時としては斬新な手法を多用。
色彩表現:「プルシアンブルー」(ベロ藍)という当時の新しい青色顔料をいち早く採用し、鮮やかな色彩を実現。
テーマの多様性:風景画だけでなく、花鳥画、妖怪画、日常風俗画など幅広いジャンルを手がけた。
観察力と想像力:現実世界の詳細な観察と、それに想像力を加えた独特の世界観を構築。
国際的評価

北斎の作品は19世紀後半、いわゆる「ジャポニスム(日本趣味)」ブームを通じてヨーロッパに広がり、特にフランスの印象派に絶大な影響を与えました。モネ、ドガ、ゴッホなどが彼の版画に学び、西洋絵画の発展に一役買ったとされています。

葛飾北斎にまつわるエピソード

引っ越し魔:90年近い生涯で、なんと93回も引っ越しをしたといわれています。
徹底した絵の探求心:生活は質素で、絵を描くことに全てを捧げた人生でした。
死の間際まで:臨終の際、「あと五年、いや十年生きられれば、もっと素晴らしい絵が描けたのに」と言い残しました。
現在

葛飾北斎の作品は、世界各地の美術館(大英博物館、メトロポリタン美術館、シカゴ美術館など)に収蔵され、また日本では東京国立博物館、すみだ北斎美術館などでも多く展示されています。