岩佐又兵衛いわさまたべえ
時代 | 江戸時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 浮世絵 |
プロフィール | 岩佐 又兵衛(いわさ またべえ、 天正6年(1578年) - 慶安3年6月22日(1650年7月20日))は、江戸時代初期の絵師。又兵衛は通称で、諱は勝以(かつもち)。通称「吃の又平(どものまたへい) 岩佐又兵衛(いわさ またべえ、1578年 – 1650年)は、江戸時代初期に活躍した絵師であり、「浮世絵の元祖」とも称される伝説的な人物です。その波乱に満ちた生涯と独自の画風は、後世の芸術家や文化人に多大な影響を与えました。 生涯と背景 岩佐又兵衛は、摂津国有岡城(現在の兵庫県伊丹市)に生まれました。父は織田信長に謀反を起こした戦国武将・荒木村重であり、1579年の有岡城の戦いで一族は滅亡の危機に瀕しますが、幼い又兵衛は乳母に救出され、石山本願寺に保護されました。その後、母方の姓である「岩佐」を名乗り、京都で絵師としての道を歩み始めます。 彼は狩野派や土佐派などの影響を受けつつも、独自の画風を確立し、京都・福井・江戸と各地で活動しました。特に福井では、松平忠直の庇護のもとで多くの作品を制作し、その名声は江戸にも届きました。晩年には徳川家光の娘・千代姫の婚礼調度の制作を任されるなど、幕府からも高く評価されました。 代表作と画風 岩佐又兵衛の代表作には、以下のようなものがあります: 《洛中洛外図屏風(舟木本)》:京都の街並みや人々の生活を精緻に描いた作品で、彼の風俗画の代表作とされています。 《山中常盤物語絵巻》:義経の母・常盤御前の悲劇を描いた絵巻で、劇的な構図と豊かな色彩が特徴です。 《浄瑠璃物語絵巻》:浄瑠璃の世界を題材にした絵巻で、細部まで描き込まれた人物や背景が魅力です。 彼の作品は、豊かな頬と長い顎を持つ人物表現や、芝居がかった大仰な仕草など、独特のスタイルで知られています。また、その大胆な構図や鮮やかな色使いは、「奇想の画家」とも称される所以です。 浮世絵の元祖としての位置づけ 岩佐又兵衛は、「浮世又兵衛」とも呼ばれ、江戸時代初期の風俗画において重要な役割を果たしました。彼の作品は、後の浮世絵師・菱川師宣にも影響を与えたとされ、浮世絵の源流として位置づけられています。ただし、浮世絵の「開祖」としては菱川師宣が一般的に知られており、又兵衛はその前身としての評価がなされています。 文化的影響と伝説 岩佐又兵衛の生涯は、近松門左衛門の人形浄瑠璃『傾城反魂香』に登場する絵師「吃又平」のモデルとされるなど、文学や演劇の世界にも影響を与えました。また、その数奇な運命と芸術への情熱は、多くの人々の関心を集め、展覧会や研究の対象となっています。 まとめ 岩佐又兵衛は、戦国の動乱を生き延び、独自の画風を築き上げた希有な絵師です。その作品は、江戸時代初期の風俗や物語を鮮やかに描き出し、後世の芸術家たちに多大な影響を与えました。彼の生涯と作品は、日本美術史において重要な位置を占めています。 現在、彼の墓は福井市の興宗寺にあり、訪れることができます。また、彼の作品は各地の美術館で所蔵・展示されており、その魅力を直接感じることができます。 |