中村惕斎なかむらてきさい
時代 | 江戸時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 墨蹟・書 |
プロフィール | 中村 惕斎(なかむら てきさい、寛永6年2月9日(1629年3月3日) - 元禄15年7月26日(1702年8月19日))は江戸時代前期の儒学者。名は之欽(しきん)。字は敬甫。通称は七左衛門、仲二郎。 中村惕斎(なかむら てきさい、1629年3月3日〈寛永6年2月9日〉 - 1702年8月19日〈元禄15年7月26日〉)は、江戸時代前期の儒学者・本草学者であり、教育者としても知られています。 基本情報 名:之欽(しきん) 字(あざな):敬甫(けいほ) 通称:七左衛門、仲二郎 号:惕斎(てきさい) 出身地:京都 中村惕斎は、幼少より学問を好み、独学で朱子学を学びました。彼は朱子学を奉じ、伊藤仁斎と並び称されるほどの儒学者でした。また、人格高潔な教育者としても伝えられています。 主な著作と業績 訓蒙図彙(きんもうずい) 1666年(寛文6年)に刊行された『訓蒙図彙』は、日本初の絵入り百科事典であり、子供向けの教育書として作成されました。この書物は、天文から花草まで20巻17部門1474項目を収載し、各項目に絵と名称を対応させて記しています。名称は、和名・漢名・異称・俗称など複数を挙げており、視覚的な理解を助ける工夫がなされています。『訓蒙図彙』は、後世の類書に多大な影響を与えました。 四書示蒙句解(ししょしもうくかい) 『四書示蒙句解』は、朱子学の基本テキストである『四書』をわかりやすく解説した書物であり、教育者としての中村惕斎の姿勢が表れています。この書物は、学問を志す者にとっての入門書として広く読まれました。 教育者としての活動 中村惕斎は、京都で私塾を開き、多くの門弟を育てました。彼の教育は、朱子学を基盤としつつも、実践的な知識や道徳を重視するものであり、庶民層にも広く受け入れられました。また、彼の著作は、教育現場での教材としても利用されました。 影響と評価 中村惕斎の業績は、江戸時代の教育や学問の発展に大きく寄与しました。特に『訓蒙図彙』は、視覚的な教材としての先駆けとなり、後の百科事典や教育書に影響を与えました。また、彼の教育理念は、後世の教育者にも受け継がれています。 中村惕斎は、学問と教育の両面で多大な貢献を果たした人物であり、その業績は現在でも高く評価されています。彼の著作や教育理念は、現代の教育にも通じる普遍的な価値を持っています。 |