大綱宗彦だいこうそうげん
時代 | 江戸時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 墨蹟・書 |
プロフィール | 1772-1860 江戸時代後期の僧。 安永元年生まれ。臨済(りんざい)宗。京都大徳寺住持。同寺塔頭(たっちゅう)黄梅院にすむ。歌をよくし,書画にすぐれ,10代千宗左,11代千宗室らとまじわった。安政7年2月16日死去。89歳。京都出身。日記に「黄梅院大綱日記」など。 大綱宗彦(だいこう そうげん、1773年〜1860年)は、江戸時代後期の臨済宗の高僧であり、京都・大徳寺の第435世住持を務めた人物です。彼は、詩歌・書画・茶の湯に秀で、特に茶道界との深い交流で知られています。また、禅語「日々是好日(にちにちこれこうにち)」を揮毫したことで広く知られています。 基本情報 法諱(ほうい):宗彦(そうげん) 道号:大綱(だいこう) 号:空華室(くうげしつ)、昨夢(さくむ)、向春庵(こうしゅんあん) 生没年:1773年(安永2年)〜1860年(安政7年) 出身地:京都 宗派:臨済宗大徳寺派 住持歴:1820年、大徳寺第435世住持に就任 塔頭:黄梅院第14世住持 墓所:大徳寺塔頭・黄梅院(京都市北区) 生涯と業績 禅僧としての歩み 大綱宗彦は、京都に生まれ、臨済宗大徳寺派の僧侶として修行を積みました。1820年には、大徳寺の第435世住持に就任し、同寺の塔頭である黄梅院の第14世住持も務めました。彼の在任中、大徳寺は禅の修行道場としての伝統を守りつつ、文化的な活動にも力を入れていました。 茶道との関わり 大綱宗彦は、茶道界との深い交流を持ち、裏千家11代・玄々斎宗室、表千家10代・吸江斎宗左、武者小路千家7代・以心斎宗守らと親交を結びました。彼の書や和歌は、茶席の掛け軸(茶掛)として重用され、茶の湯の精神と禅の教えを融合させた作品として高く評価されています。 書画と和歌の作品 大綱宗彦は、書画や和歌にも優れた才能を発揮しました。特に、瓢箪(ひょうたん)を題材にした画賛(絵と賛を組み合わせた作品)では、禅の教えや人生の機微を表現しています。例えば、「ふらふらと 暮らすようでも ひょうたんは 胸のあたりに しめくくりあり」という和歌は、瓢箪の形状を通じて、自由さと内に秘めた規律を象徴的に描いています。 禅語「日々是好日」の揮毫 大綱宗彦は、禅語「日々是好日(にちにちこれこうにち)」を揮毫したことで知られています。この言葉は、唐代の禅僧・雲門文偃の語録に由来し、「どんな日もそのままに受け入れ、良き日とする」という禅の教えを表しています。彼の揮毫した「日々是好日」の掛け軸は、茶席や禅の道場で掲げられ、今なお多くの人々に親しまれています。 関連資料と参考文献 大綱宗彦の作品や書については、以下の資料に収録されています: 『大徳寺墨蹟全集 第3巻』(丸岡宗男責任編集、毎日新聞社):彼の書作品や画賛が掲載されています。 『茶人のことば』新版(井口海仙、淡交社):彼の和歌や茶道に関する言葉が紹介されています。 また、彼の日記『空華室日記』や『黄梅院大綱日記』には、当時の禅僧としての生活や思索が記録されています。 大綱宗彦は、禅僧としての修行だけでなく、書画や和歌、茶道を通じて、江戸時代後期の文化に多大な影響を与えました。彼の作品や教えは、今なお多くの人々に受け継がれ、禅と日本文化の融合を象徴する存在として評価されています。 |