十辺舎一九じゅっぺんしゃいっく

時代 江戸時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 墨蹟・書
プロフィール 十返舎 一九(じっぺんしゃ いっく、明和2年(1765年) - 天保2年8月7日(1831年9月12日))は、江戸時代後期の戯作者、浮世絵師。日本で最初に、文筆のみで自活した[要出典]。『東海道中膝栗毛』の作者として知られる。

十返舎一九(じっぺんしゃ いっく、1765年?〜1831年)は、江戸時代後期の滑稽本(こっけいぼん)の大作家・戯作者で、特に**『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』**の作者として知られています。
彼は「庶民に笑いと旅の楽しさを提供した元祖エンタメ作家」とも言える存在で、当時の町人文化を代表する人物の一人です。

■ 基本情報

名前:十返舎 一九(じっぺんしゃ いっく)
本名:重田 貞一(しげた ていいち)、または重田 貞吉とも
号・別称:「十返舎」は洒落の効いた筆名(「一九=一句」とも言われる)
生年没年:1765年頃(明和2年)〜1831年(天保2年)
出身地:駿河国(現在の静岡県静岡市)とされるが定かではない
職業:戯作者、浮世絵師(絵も得意)、滑稽本作家
■ 略歴と作家としての歩み

◉ 若き日の修業と文筆活動
初めは役者や絵師、狂歌師として活動していたとされる。
浮世絵の版下絵(下絵)を描いていたという記録もある。
のちに江戸に出て戯作(げさく=大衆文学)を本格化。
◉ 大ブレイク:『東海道中膝栗毛』
1802年(享和2年)、『東海道中膝栗毛』の初編を出版。
弥次郎兵衛(やじろべえ)と喜多八(きたはち)という二人組が江戸から京都まで旅をしながらドタバタ珍道中を繰り広げる滑稽で風刺的な旅物語。
大ヒットし、続編・外伝・番外編などを含めて十数巻以上が刊行される大ベストセラーに。
■ 作風と文学的特徴

① ■ 庶民の言葉で書く「江戸っ子文学」
江戸弁・地口(語呂合わせ)・駄洒落などを多用し、庶民にわかりやすく、面白く描く。
固い漢文調を排した、話し言葉に近い文体が新鮮で人気を博す。
② ■ 旅・笑い・風刺
旅行ブームと出版文化が広がる時代背景の中で、「旅」というテーマが庶民の関心を惹きつけた。
弥次・喜多の失敗や道中の騒動は、当時の社会風刺や人物風俗を軽妙に描写。
③ ■ 視覚メディアとの融合
多くの挿絵入りで出版され、文章と絵がセットで楽しめる“江戸の漫画”のような読み物として親しまれた。
版画・浮世絵師たちと連携した制作も盛んだった。
■ 主な著作と代表作品


作品名 内容・特徴
東海道中膝栗毛 弥次喜多の滑稽旅物語。江戸〜京都〜大坂までを描く超人気シリーズ
木曽街道膝栗毛 東海道に続く続編。木曽路を舞台に再び弥次喜多が登場
仁勢物語 『伊勢物語』をもじったパロディ作品
金草鞋(きんのわらじ) 旅のガイドブック風の情報戯作作品
仕懸文庫 書物の読み方や滑稽な読書指南を描いた作品
■ 晩年と死

晩年は作品の人気が陰りを見せ、生活も苦しくなったと伝えられています。
1831年、江戸で死去。「自分の墓には『一九や 十に足らぬは この世なり』と刻んでくれ」と言った洒落た辞世の句を残したと伝わります。
■ 歴史的評価と影響

十返舎一九は**“庶民が主人公となる文学”を確立させた先駆者**として高く評価されます。
その作風は、山東京伝、式亭三馬、滝沢馬琴らの戯作文学にも多大な影響を与えました。
現代では「弥次喜多道中」の名で映画・舞台・漫画などに多数アレンジされ、日本のユーモア文学の原点の一つとされています。
■ まとめ:十返舎一九の意義


項目 内容
活躍時期 江戸時代後期(1800年前後〜1830年頃)
分野 戯作(滑稽本・旅本)・挿絵・風刺
代表作 『東海道中膝栗毛』シリーズ
評価 日本最初のベストセラー作家の一人。庶民文化の象徴的作家
特徴 江戸語、笑い、旅、挿絵などを融合した新しい読み物を創出