古月禅材こげつぜんざい

時代 江戸時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 墨蹟・書
プロフィール 江戸中期の臨済宗の僧。俗姓は金丸氏。日向松厳寺の一道禅棟に参禅後、豊後多福寺の賢巌禅悦らに参じて禅旨を究める。日向大光寺に住して知又軒を構え、のち自得寺と改めて開山第一世となる。また筑後久留米侯有馬氏に招かれ、慈雲山福聚寺を開く。『大般若経』の書写を行ない、また宗風の挙揚に努めて、門下に月船禅慧らを輩出して古月派を形成、臨済宗の名僧として白隠慧鶴と共に並び称せられる。宝暦元年(1751)寂、85才。

**古月禅材(こげつ ぜんざい)**は、江戸時代前期に活躍した臨済宗の高僧で、黄檗宗の祖・隠元隆琦の来日に伴い、その禅風を継承・普及した重要人物です。黄檗禅(おうばくぜん)の精神的継承者であり、後世の臨済・黄檗両派にまたがる禅文化の発展に大きく寄与しました。

■ 基本情報

名号:古月禅材(こげつ ぜんざい)
道号(号):古月
諱(いみな):禅材
出身地:肥前国(現在の佐賀県あたり)
生没年:1618年(元和4年)~1697年(元禄10年)
宗派:黄檗宗(臨済宗黄檗派)
師匠:隠元隆琦(いんげん りゅうき)
活動地:京都府宇治市・萬福寺を中心に、各地で布教
■ 生涯と業績

◉ 隠元隆琦の弟子として出家
1654年、中国・明から来日した高僧隠元隆琦に深く傾倒し、その第一の高弟となりました。
古月は若くして禅に目覚め、隠元の禅風を日本で忠実に継承することを生涯の使命としました。

◉ 黄檗宗の禅風の伝承者
隠元の来日によって、日本では明朝風の臨済禅(黄檗宗)が広がりを見せました。
古月はその禅風を忠実に学び、その教義・戒律・作法・規矩(きく)を体系化。
とくに彼の功績は、中国明代の儀礼や僧堂制度を忠実に保持した点にあり、それまでの日本の禅風とは一線を画しました。
◉ 宇治・萬福寺での修行と教育
萬福寺(京都府宇治市)は隠元が開いた黄檗宗の大本山で、古月はそこで師事し、その後は堂頭や住持も務めました。
禅の厳しい修行制度を維持しつつ、戒律と学問、そして書画の素養も重視する教育を施しました。
◉ 書と漢詩、戒律の整備
古月は、書や漢詩にも優れており、宗教的な詩文や墨跡を多く残しました。
また、禅の厳格な修行体系(清規)を記録・整備し、後世の模範としました。
戒律や生活の規律に厳しく、形式美を大切にする禅風を貫いた人物でもあります。
■ 主な弟子と影響

古月の教えを受けた弟子たちは、全国に黄檗宗や新たな臨済宗の寺院を開いていきました。特に著名な弟子は:

大愚宗築(だいぐ そうちく)
慧極道明(えごく どうみょう)
木庵性瑫(もくあん しょうとう) など
彼らは、古月の禅を通じて、**黄檗文化(仏教・建築・儀礼・書画・茶道などを含む)**を全国に広めました。

■ 人柄と思想

質素で謙虚な生活を守りつつ、禅に対しては極めて厳格な姿勢を貫きました。
禅問答においては、**形式ではなく体得を重視する「行の人」**として知られています。
「道を得た者は、墨をもって法を伝えず」と語ったとされ、教えは語るより体得させるという実践型の禅風を大切にしました。
■ 墓所と顕彰

古月の墓は、**萬福寺(宇治)**にあり、現在も黄檗宗の高僧として尊敬されています。
萬福寺には彼の墨跡や肖像、記録などが多数残され、禅文化の重要な資料となっています。
■ まとめ:古月禅材の意義


項目 内容
宗派 臨済宗黄檗派(黄檗宗)
師匠 隠元隆琦
特色 明風の禅(明朝中国の禅文化)を厳格に継承
功績 萬福寺にて修行体系・戒律・書画文化の整備
後世への影響 黄檗宗と禅文化全体の確立に大きく寄与