天室宗竺てんしつそうじく

時代 江戸時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 墨蹟・書
プロフィール 江戸前期の臨済宗の僧。大徳寺百九十世。尾張生。字は如幻、号は一如子・破笠子・雛道人。勅謚大覚円明禅師。玉室宗珀の法を嗣ぎ大徳寺に入山し、のち東海寺の輪番となった。寛文7年(1667)寂、63才。

天室宗竺(てんしつ そうじく、? – 1607年)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての臨済宗の僧で、特に妙心寺派の高僧として知られています。彼は、沢庵宗彭や玉室宗珀と並ぶ「三室」として称された一人であり、近世臨済宗の教学・禅風の形成に大きく寄与しました。

【基本情報】
名 号:天室宗竺(てんしつ そうじく)
号 字:法諱は宗竺、号は天室
宗 派:臨済宗(妙心寺派)
時 代:戦国末期〜江戸初期(16世紀後半〜1607年)
出身地:詳細不明(但し、妙心寺系統の禅僧として関西圏に活動)
没 年:慶長12年(1607年)
【略歴と業績】
■ 修行と学問

天室宗竺は、妙心寺の門派に学び、当時の主流であった「五山文学」や中国禅(宋・元の臨済宗)への深い理解を持っていました。

彼の禅風は、形式にとらわれない実践的な禅に重きがあり、室町時代後期に形式化していた禅宗に対して、再び内面的修行を重視する流れを築いた人物の一人です。

■ 「三室」のひとり

以下の三人を「妙心寺三室」と称します:

玉室宗珀(ぎょくしつ そうはく)
天室宗竺(てんしつ そうじく)
密庵宗通(みったん そうつう) あるいは**沢庵宗彭(たくあん そうほう)**とされる場合もあります。
いずれにせよ、宗竺は近世禅宗の骨格をつくる上で不可欠な思想家・指導者でした。

■ 門弟と後継者

弟子の名はあまり多くは残っていませんが、彼の禅風や語録、書簡などを通して後世に大きな影響を残しました。特に妙心寺系の寺院においては、彼の説法・書き物は重視され、江戸時代を通して引用・参照される存在となりました。

■ 晩年と入寂

晩年は、京都を拠点に静かに過ごし、慶長12年(1607年)に没しました。彼の死は多くの門徒や同門の禅僧たちに惜しまれたと伝わっています。

【評価と影響】
「臨済宗中興の祖」とまでは言わないまでも、禅宗の再活性化を促した中興的な存在です。
禅の実践性・思想性を再構築し、徳川時代における妙心寺派の宗学的基盤を形成した人物と位置づけられています。