近衛家煕このえいえひろ

時代 江戸時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 墨蹟・書
プロフィール 近衞 家熈(このえ いえひろ、寛文7年6月4日(1667年7月24日) - 元文元年10月3日(1736年11月5日))は、江戸時代前期から中期にかけての公家。

近衛家熙(このえ いえひろ)は、江戸時代前期の公家で、五摂家の一つ・近衛家の当主として内覧・摂政・関白を歴任した政治家でありながら、同時に優れた書家・文化人・芸術の庇護者でもありました。特に、蒔絵・書道・茶道・香道など雅な宮廷文化の継承と発展に貢献した名家の当主です。

◆ 基本情報

項目 内容
名前 近衛 家熙(このえ いえひろ)
読み このえ いえひろ
生年 1667年(寛文7年)
没年 1736年(元文元年)
家柄 近衛家(五摂家の筆頭)、藤原氏の流れ
官位 関白・摂政・内覧、正一位
書号・号 寂樽(じゃくそん)、文雅堂、蘆花庵など(書家・文化人としての号)
◆ 政治家としての経歴

摂政・関白を歴任(元禄〜享保期)し、朝廷の中枢を担いました。
特に朝幕関係の調整に尽力し、徳川綱吉・家宣・家継・吉宗ら徳川将軍と親交。
ただし、幕府の権威が強まる中、天皇・朝廷の文化的権威を保つことに力を入れたとされます。
◆ 文化人・美術愛好家としての顔

◎ 書道家として
「寂樽(じゃくそん)」の号で知られ、当代随一の能書家として名声を博しました。
特に仮名書に秀で、王羲之・藤原行成の書法を学びつつ、優美で洗練された風格を持つ。
現在でも「近衛流」または「寂樽流」と称される書風は、茶道の掛物などで高く評価されます。
◎ 美術・工芸のパトロン
蒔絵師・尾形光琳、陶工・野々村仁清などの芸術家を保護・支援。
自らも香道・茶道・和歌・連歌に通じ、江戸初期の貴族文化の「粋」を体現した人物。
◎ 香道・茶道にも造詣が深い
香道の名手としても知られ、雅流の香席を指導。
茶道では「寂樽好み」の茶道具が伝わり、京都の茶道家に今も影響を与えています。
◆ 近衛家熙と芸術家との関係

芸術家 関係
尾形光琳 支援者・パトロンとして活動を後援し、雅な作風を好む
野々村仁清 仁清の雅陶は家熙の茶道趣味と一致。作陶の意匠に影響
本阿弥光悦(先代) 光悦派の文化を継承し、「琳派」の広がりに貢献
大名茶人との交流 松平不昧・小堀遠州らとも精神的に通じる系譜
◆ 文雅の殿上人としての評価

「和様の文化芸術を政治と共に支えた名公卿」として後世の評価が高く、
江戸時代を代表する貴族文化の「顔役」的存在でした。
彼の美意識は「王朝文化の最後の輝き」とされ、明治以降の近衛家(首相・近衛文麿など)にも文化的な気品を残しました。
◆ 代表的な作品・遺構

書蹟作品(掛軸・色紙・香箱の箱書など):美術館や茶道具に現存
寂樽好み:香道具、硯箱、茶入などに付けられた銘
京都・冷泉家や旧公家家系の所蔵品にも多数家熙の墨跡が含まれます
◆ まとめ

近衛家熙(このえ いえひろ)は、
江戸前期の公家社会を代表する政治家+文化人
書道・茶道・香道に優れた**「王朝文化の体現者」**
尾形光琳や仁清など、琳派芸術家の活動を支えたパトロン

として、日本文化史・美術史において極めて重要な人物です。