土佐光清とさみいつきよ

時代 江戸時代
カテゴリー 絵画、書画,掛け軸
作品種別 絵画
プロフィール 画家。光孚の子。京の人。文久2年(1862)歿、58才。

土佐光清(とさ みつきよ、1805年12月21日〈文化2年11月1日〉 - 1863年1月10日〈文久2年11月21日〉)は、江戸時代後期から幕末にかけて活躍した土佐派の絵師です。​土佐派分家の2代目土佐光孚(みつざね)の長男として生まれ、弟に土佐光文(みつぶみ)がいます。​幼名は繁松丸、字は子纓、号は鏡水と称しました。 ​

経歴と活動

光清は父・光孚から画法を学び、その後、禁裏絵所(宮中の絵画制作を担当する部署)を務めました。​文化11年(1814年)に数え10歳で従六位上・豊前介に叙任され、その後も昇進を重ね、嘉永5年(1852年)には土佐守、嘉永7年(1854年)には従四位下に叙せられています。 ​

病弱でありながらも、父の教えを受けて土佐派の古画を研究し、画風の刷新に努めました。​弟の光文と共に多くの画事を手掛け、安政度の御所造営でも活躍しました。​文久2年(1863年)に58歳で亡くなり、墓所は京都の知恩寺にあります。 ​

作品

光清の作品として以下のものが知られています:​

荒海障子:​麻本墨画の衝立障子2面で、清涼殿弘庇北端に所在。 ​
Wikipedia
昆明池障子(昆明池水戦図・嵯峨野小鷹狩図):​絹本著色の衝立障子2面で、清涼殿弘庇、二間と上御局の境に立てられる衝立障子。 ​

辰野市図襖・難波江図:​絹本著色の襖4面で、清涼殿藤壺上の御局に所在。 ​

春夏秋冬花鳥図:​絹本著色金砂子金泥引の御袋棚小襖8面で、御常御殿剣璽の間(上段の間東側)北面に所在。 ​

義家公泰平図:​絹本著色の1幅で、飯田市美術博物館に所蔵されています。