坂倉新兵衛さかくらしんべえ

時代 昭和24年〜
カテゴリー 陶磁器全般
作品種別 日本工芸会・陶芸
プロフィール 坂倉新兵衛(さかくら しんべえ)は、山口県長門市に約400年続く萩焼の名門窯元であり、代々「新兵衛」の名を襲名しながら伝統を守り続けています。​


歴代の坂倉新兵衛:

初代 李勺光(り しゃっこう):​文禄・慶長の役(1592~1598年)の際に朝鮮から渡来し、萩藩初代藩主・毛利輝元の命で萩に窯を築き、萩焼の基礎を築きました。​
古美術 天平堂
二代 山村新兵衛光政(やまむら しんべえ みつまさ):​初代の技術を継承し、萩焼の発展に寄与しました。​

三代 平四郎光俊(へいしろう みつとし):​さらに技術を深化させ、萩焼の名声を高めました。​
四代 弥兵衛光信(やへえ みつのぶ):​新たな技法を取り入れ、作品の幅を広げました。​
五代 源次郎光長(げんじろう みつなが):​萩焼の品質向上に努め、評価を高めました。​

六代 坂倉藤左衛門(さかくら とうざえもん):​この代より「坂倉」姓を名乗り、家名を確立しました。​
七代 五郎右衛門(ごろうえもん):​萩焼の伝統を守りつつ、新たな挑戦を行いました。​
八代 半へい(はんぺい):​作品の多様化を図り、萩焼の魅力を広めました。​

九代 平助(へいすけ):​技術の研鑽に努め、萩焼の品質を維持しました。​
十代 九郎右衛門(くろうえもん):​新たな市場開拓を行い、萩焼の普及に貢献しました。​
十一代 新兵衛多吉(しんべえ たきち):​伝統技術の継承と革新を推進しました。​
十二代 新兵衛(しんべえ):​萩焼の評価を国内外で高めました。​
十三代 新兵衛光太郎(しんべえ こうたろう):​戦時中に戦死されましたが、その功績は大きいものがあります。​
十四代 新兵衛宗治(しんべえ そうじ):​1934年に山口県立萩商業学校を卒業後、神戸市の海産物問屋に就職しましたが、健康を損ね帰郷。その後、モロゾフ製菓株式会社に入社しましたが、長兄の戦死を受けて帰郷し、父に師事して作陶の道に入りました。1960年に十四代新兵衛を襲名し、1972年に山口県指定無形文化財に認定されました。 ​

十五代 新兵衛正治(しんべえ しょうじ):​1949年に十四代の長男として生まれ、1974年に東京芸術大学大学院陶芸専攻を修了後、父の体調不良により帰郷。1978年に十五代新兵衛を襲名し、1984年に日本工芸会正会員となりました。萩焼の名手として、造形感覚と技術の高さに定評があります。 ​

坂倉新兵衛家の特徴:

坂倉新兵衛家は、萩焼の伝統を守りつつ、各代が新たな技法やデザインを取り入れ、作品の幅を広げてきました。その結果、萩焼は茶陶として高い評価を受け、「一楽、二萩、三唐津」と称されるまでになりました。​


現在、十五代新兵衛の息子である坂倉正紘氏が後継者として技術と精神を磨きながら、「萩焼とは何か」という問いに向き合い、次世代の萩焼を担う存在として期待されています。 ​

坂倉新兵衛家の歴史は、萩焼の発展とともにあり、その作品は日本の陶芸史において重要な位置を占めています。​