西村楠亭にしむらなんてい
時代 | 江戸時代 |
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カテゴリー | 絵画、書画,掛け軸 |
作品種別 | 絵画 |
プロフィール | 江戸後期の画家。名は予章、字は士風。円山応瑞の門。人物画を能くする。天保5年(1834)歿、59才。 西村楠亭(にしむら なんてい、安永4年/1775年–天保5年6月20日/1834年)は、江戸時代後期を代表する京都生まれの円山派絵師です。本名は予章、字(あざな)は子風、号は楠亭。京都の織物商・嶋屋庄右衛門の次男として生まれ、若くして円山応挙に入門し、応挙門下十哲の一人に数えられました。 楠亭の画風は、写実的かつ繊細な肉筆風俗画に秀で、特に人物画と花鳥山水画を得意としました。文化元年(1804)制作の大型絵馬《競馬図》や、文化8年(1811)の《玄徳躍馬図》など絵馬作品は、各地の神社に今も伝わり、その雄大かつ動きのある筆致が高く評価されています。屏風画では、白梅と双鹿を描いた『白梅狗子・紅葉双鹿図屏風』や賀茂祭礼を題材とした『賀茂祭礼図屏風』などが知られ、いずれも六曲一双の大作として迫力ある構図を示します。 また、楠亭は絵本の刊行でも業績を残しました。享和4年(1804)刊『楠亭画譜』および文政9年(1826)刊『楠亭画譜 後編』は、木版印刷による図譜集として後世の画家や研究者に重要な資料となっています。 天保5年(1834)6月20日に80歳で没し、京都西大谷(諸説あり)に葬られました。存命中の作品は決して多くは残されていませんが、円山応挙から受け継いだ写実技法を深化させた楠亭独自の作風は、江戸後期日本画史における重要な一章を成しています。 |