山崎董烈やまざきとうれつ
時代 | 江戸時代 |
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カテゴリー | 絵画、書画,掛け軸 |
作品種別 | 絵画 |
プロフィール | 江戸後期の画家。字は牙競、通称を井戸甚助、名は甫田・其萃・槐雲堂等。父董九如に画法を学び、よくその法を守る。天保8年(1837)歿、52才。 山崎 董烈(やまさき とうれつ、天明6年/1786年生–天保8年1月29日/1837年没)は、江戸時代後期を代表する日本画家の一人です。もとの姓は井戸、本姓は矢橋といい、字(あざな)は无競(むきょう)、別号に甫田(ほだ)、槐雲堂(かいうんどう)などを用いました。生年は天明6年(1786年)、没年は天保8年(1837年)で、享年52と比較的短い生涯でした KOTOBANK.JP 。 画家としての修業は南蘋派(なんぴんは)を代表する画家・董九如(とうきゅうじょ)の門下で学び、師風を忠実に守りながら独自の繊細な筆致を発展させました。作品の主題は山水画や花鳥画が中心で、とりわけ花鳥画では対象の質感や色彩表現に優れ、自然の息吹を感じさせる緻密な描写が特徴です KOTOBANK.JP 。 生涯を通じて大きな官職や藩の抱え絵師になることはなく、いわば「孤高の絵師」として制作に専念したと伝えられています。没後、その画業は一時忘れられがちでしたが、近年はコレクターや美術館の間で再評価が進み、作品が展覧会やオークションで取り上げられる機会が増えています。 代表作としては、『花鳥図屏風』や『山水図』などが挙げられますが、現存数は少なく、その希少性ゆえに評価が高まっています。江戸後期の南蘋派を継承しながらも個性ある表現を追求した画家として、美術史上重要な位置を占めています。 |