依田竹谷よだちっこく

時代 江戸時代
カテゴリー 絵画、書画,掛け軸
作品種別 絵画
プロフィール 依田 竹谷(よだ ちっこく、寛政2年(1790年) - 天保14年4月7日(1843年5月6日))は江戸時代後期の南画家。
名は瑾、字は子長・叔年。号は竹谷のほかに凌寒道人・三谷庵・盈科斎など。江戸の生まれ。

依田竹谷(よだ ちっこく、寛政2年=1790年–天保14年=1843年)は、江戸時代後期を代表する南画(文人画)の画家です。江戸生まれ、本名は瑾(きん)、字(あざな)は子長・叔年。号は竹谷のほか凌寒道人・三谷庵・盈科斎などを用いました。

竹谷は**谷文晁(たに ぶんちょう)**に師事し、花鳥・山水・人物・虫魚などあらゆるモチーフを幅広く描きました。
下谷御徒町(現在の東京・上野周辺)に住み、琴棋書画のなかでは「画」を最も得意としたと言われます。晩年、何らかの理由で文晁門を破門されたものの、高久隆古(たかひさ りゅうこ)ら弟子を育てました。

画風と代表作
南画特有の抒情的で穏やかな筆致を持ち、淡彩と墨の濃淡で奥行きを表現
花鳥画では「柳に目白」「梟図」、山水では「月下双鹿図」などが知られる
江戸末期の写生的要素を強く反映した作品が多数残る
人物エピソード
儒者・亀田鵬斎(かめだ ほうさい)と北陸旅行をした際、自身を文晁と偽って画料を稼いだ逸話がある
破門の原因は鵬斎が同席の師・文晁を誤解して告げ口したためと伝わる
晩年と死去
天保14年(1843年)4月7日、江戸にて54歳で没。四谷塩町・長善寺に葬られています。

竹谷は江戸南画の代表的人物として、現在も国内外の美術館・画商に作品が出回り高い評価を受けています。