鳥羽石隠とばせきいん
時代 | 江戸時代 |
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カテゴリー | 絵画、書画,掛け軸 |
作品種別 | 絵画 |
プロフィール | 江戸後期の画家。近江の人。名は希聡、字は叡父、別号に台麓、通称を万七郎。京都に寓居し、小景の山水画を能くした。文政6年(1823)歿、85才。 鳥羽石隠(とば・せきいん、1739年〜1823年)は、滋賀県に生まれた日本画家で、江戸時代後期に活躍しました。以下、彼の人物像や業績、作風について詳しくご紹介します。 人物像と背景 出身と生涯 鳥羽石隠は1739年に滋賀県で生まれ、1823年に没しました。寛政期以降、実質的に画壇の長老格として周囲から尊敬され、華やかな人脈を築いた人物です。彼は池大雅、韓天寿、高芙蓉など、同時代の有力な画家たちと親交を重ね、その影響を受けながらも、独自の美意識を持って活動しました。 人格と評価 石隠は、その才能だけでなく、無私で生仏のような人柄でも知られていました。彼の温和で謙虚な態度は、師弟関係や同僚との交流においても高く評価され、後進の指導や共同作業を通じて画壇に多大な影響を与えました。 業績と活動 交流と影響 鳥羽石隠は、池大雅や韓天寿、高芙蓉といった著名な画家たちとの交流を通じて、その技術や美意識を磨きました。特に、韓天寿の故紙塚や大雅堂の建立に尽力するなど、文化・美術の発展に寄与したエピソードも伝えられています。 作品と編集活動 早稲田大学などの古典籍データベースには、石隠が編者として関わった「捃印補遺」や「捃印補正」といった文献が残っており、これらは彼の学識や書画に対する深い理解を示しています。これらの資料は、彼が当時の美術界において重要な役割を果たしていたことを物語っています。 作風の特徴 南画の伝統 鳥羽石隠は、南画の流派に属しながらも、独自の解釈と技法を展開しました。柔らかな筆致と繊細な色彩表現が特徴で、情趣ある風景や人物、花鳥などを描く中で、静謐かつ品格のある雰囲気を醸し出しています。 影響の広がり 彼の作品は、当時の画壇のみならず、後世の美術鑑定や古美術市場においても評価され、各種展覧会や取扱い作品として注目されています。松本松栄堂などの古美術品取扱店で彼の作品が紹介されることからも、その芸術性と歴史的価値が伺えます。 まとめ 鳥羽石隠は、滋賀県出身の江戸時代後期の日本画家として、池大雅、韓天寿、高芙蓉などとの交流を通じ、南画の伝統を受け継ぎながらも独自の作風を確立しました。無私で温和な人格とともに、その深い学識と高い技術は、後世の美術界にも大きな影響を与えています。彼が編纂した文献や残された作品は、江戸時代の美術史を知る上で貴重な資料となっています。 |