高久隆古たかくりゅうこ
時代 | 江戸時代 |
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カテゴリー | 絵画、書画,掛け軸 |
作品種別 | 絵画 |
プロフィール | 高久 隆古(たかく りゅうこ、文化7年(1810年) - 安政5年8月26日(1858年10月2日))は江戸時代後期の画家。復古大和絵派。 本姓は川勝。諱は隆恒、字は述而。通称は斧四郎。号は隆古の他に梅斎など。高隆古・泰隆古と称した。武蔵埼玉郡忍城下(現・埼玉県行田市)の生まれ。 高久隆古(たかく りゅうこ、1810年~1858年)は、江戸時代後期に活躍した画家で、復古大和絵派と南画の技法を融合させた独自の画風で知られています。以下、その生涯と業績について詳しく解説します。 生い立ちと学び 出生と家柄 高久隆古は、阿部家の家老職を歴任した川勝家の四男として、武蔵忍城下(現在の埼玉県行田市)に生まれました。本姓は川勝で、のちに養子縁組などの経緯から「高久」と名乗るようになりました。 絵師としての修行 若いころから絵師になることを志し、地元の画家・蒲生羅漢の紹介で南画家の依田竹谷に入門。その後、京都に上り、復古大和絵派の先駆者・田中訥言の門人である浮田一蕙に師事しました。また、名古屋では画人・渡辺清からも学び、幅広い技法を習得しています。 高久家との関わりと画風の確立 養子縁組と高久家との関係 天保14年(1843年)、当時の有力な画家であり高久靄厓の急逝を受け、周囲の勧めにより高久家の養子となり、跡を継ぐことになりました。しかし、後に高久家を離れることとなり、その後は独自の活動を展開しています。 画風の特徴 高久隆古は、南画の繊細な筆致と、古来の大和絵の伝統美を融合させた画風を確立しました。これにより、関東周辺を巡業しながら多くの作品を残し、特に屏風絵や掛軸、襖絵などで高い評価を受けています。代表作には『蘭亭曲水図』や『平家物語 小督と仲国』などがあり、これらの作品は各地の美術館や文化財として保存されています。 晩年と死去 活動の広がりと晩年 江戸に戻った後、高久隆古は精力的に制作活動を続け、関東地域で多数の作品を発表しました。彼の作品は、南画と大和絵の双方の伝統を感じさせる彩り豊かなもので、当時の文化人や豪商からも高く評価されました。 死去 安政5年(1858年)、下総佐原から江戸へ帰る途中にコレラに罹り、48歳(数え年)で急逝しました。法名は「興道隆古居士」で、谷中天龍院に葬られました。 作品とその評価 高久隆古の作品は、江戸時代後期の日本画の重要な一端を担っており、以下のような作品が知られています: 屏風絵・掛軸 『蘭亭曲水図』、『蕉葉品題図』、『平家物語 小督と仲国』など、屏風や掛軸に描かれた作品は、その技法と色彩の豊かさで高く評価されています。 文化財としての価値 多くの作品が県や市の指定文化財に選定され、今日も美術館や公共施設で展示されています。これにより、江戸時代の美術文化の一端として、その歴史的価値が後世に伝えられています。 まとめ 高久隆古は、南画と大和絵という異なる伝統美術を融合させ、独自の表現を追求した江戸後期の名画家です。家柄や養子縁組を経て名家の跡を継ぐという背景もありながら、独自の感性と学びを重ね、関東地方を中心に多くの名作を残しました。彼の作品は、今日の日本美術の貴重な遺産として高く評価され、研究や展示の対象となっています。 |