岡田玉山おかだぎょくざん
時代 | 江戸時代 |
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カテゴリー | 絵画、書画,掛け軸 |
作品種別 | 絵画 |
プロフィール | 岡田 玉山(おかだ ぎょくざん、元文2年〈1737年〉 - 文化5年〈1808年〉、または9年〈1812年〉?)とは、江戸時代中期から後期にかけての大坂の浮世絵師。 岡田玉山(おかだ ぎょくざん、元文2年〈1737年〉生 - 文化9年〈1812年〉没)は、江戸時代中期から後期にかけて活躍した大坂出身の浮世絵師です。以下に、彼の略歴と作品、影響などについて詳しくまとめます。 来歴と経歴 生没年と出自 岡田玉山は元文2年(1737年)に大坂で生まれ、文化9年(1812年)に没したとされています。一説では文化5年(1808年)に没したとも伝えられ、享年76歳であったとする説があります。元々は本姓が「岡田」でしたが、後に通称として「玉山」と呼ばれるようになりました。 門人・影響 月岡雪鼎や蔀関月の門人であったと伝えられ、これらの巨匠の技法や流派を学んだ上で、独自の作風を確立しました。後に、石田玉山など、彼の流れを受け継ぐ弟子たちを輩出し、近世板刻密画の開祖といわれるほどに、その技法は高く評価されました。 活動拠点 主に大坂を拠点に活動し、当時の浮世絵市場や板刻本の制作に多大な影響を与えました。 主な作品とその特徴 版本挿絵 岡田玉山は、版本の挿絵を得意としており、『絵本太閤記』や『唐土名勝図会』など、多くの挿絵作品を手がけました。彼の挿絵は緻密な描写と大胆な構図が特徴で、当時の日本画壇に新たな表現の幅をもたらしました。 肉筆美人画 また、肉筆の美人画にも才能を発揮し、「月下美人図」など、女性の美しさや風俗を描いた作品が知られています。これらの作品では、上方風の温かみのある表情や、細密な筆致が評価されています。 技法と表現 彼は、版画の下絵としての技法に長けており、中国画や西洋の銅版画の技法を取り入れ、独自の表現を追求しました。そのため、絵本挿絵だけでなく、肉筆画においても、細密でありながらも動きのある筆使いが印象的です。 文化的背景と影響 幕府の禁制とその影響 彼の代表作の一つである『絵本太閤記』は、後に幕府の忌諱に触れることとなり、絶版命令を受けるなど、政治的な影響も受けました。この事件は、当時の浮世絵市場における作家の立場や、作品の制作・流布に大きな影響を与えたとされています。 後世への影響 岡田玉山の作品は、喜多川歌麿や歌川国芳、そして後の葛飾北斎など、多くの後進の画家たちに影響を与えました。特に、彼の細密な挿絵技法や独特の構図は、浮世絵の発展において重要な位置を占めています。 所蔵例と現代での評価 主要美術館での所蔵 岡田玉山の作品は、東京国立博物館、出光美術館、大阪歴史博物館など、全国の主要な美術館で所蔵され、現代においても高い評価を得ています。 学術研究 彼に関する学術文献としては、中山創太の『岡田玉山研究―歌川国芳、葛飾北斎への影響をめぐって―』などがあり、近世日本画の研究においても重要な位置を占めています。 まとめ 岡田玉山は、大坂を拠点に活躍した浮世絵師として、版本挿絵や肉筆美人画において卓越した技法と独自の表現を確立しました。彼の作品は当時の風俗や文化を反映するとともに、後進の画家たちに大きな影響を与え、今日の日本美術史においてもその名が高く評価されています。 参考文献・出典 Wikipedia「岡田玉山」 国立国会図書館デジタルコレクション、各種美術館資料 UAG美術家研究所「岡田玉山」 この情報は、公開されている文献やウェブ上の資料に基づいています。詳細な学術研究をお求めの場合は、関連の研究書や展覧会図録なども参照されると良いでしょう。 |